【気づいている?】あなたの中の「内向型」という性格

内向型に気がついているか?

こんにちは!

自由にゆっくり生活を送るなつのです!

今日は僕の性格の一部でもある内向型について書きたいと思います。

あなたは内向型であると聞いて何を思い浮かべますか?

「なんだか根暗そう」と思った人も多いかもしれません。

僕も過去には内向型と聞くと、根暗だとか、内気だとかそんな風に捉えていて、自分とは何も関係のない事のように考えっていました。

でも、内向型について調べるうちに、自分がかなりの内向型である事に気が付くようになったのです。

それと同時に、根暗だとか思っていた認識は誤っており、内向型こそ僕の素晴らしい性格だと思えたのです。

内向型を実は有していたり、持っていても素晴らしさに気がついていない人は多いのではないでしょうか。

それってすごくもったいないなと思えます。

とても素晴らしい特性である内向型を紹介したいと思います。

なぜ内向型だと思えたのか

まずは僕がどんな事で内向型であると感じたのか話したいです。

僕はガチャガチャしている所が苦手で、街の雑踏を歩くのも、パーティのような人の多い場所に行くのも、苦手です。

だから自然と、できる限り人混みを避けて行動するようになっていました。

それよりもひとりで考え事をしていたり、本を読んでいたり、ドライブをしている方が楽しいと感じるのです。

文章だけ見れば、それこそ根暗だなと思われる方も多いかもしれませんが、僕自身は話す事も好きだし、過去には学内という小規模ではあるが、ラジオのパーソナリティを務めていた事もあったのです。

だから、文章通じて知り合いになった人は、僕と話した時に驚かれる経験は何度となくしています。

僕は人に気がついてもらいやすい表面の性格が、いかにも外向型なので、僕を見て内向型だという人は多くありません。

しかし、僕の趣味や行動パターンはいかにも内向型だったのです。

これもふとした読書によって気づかされた事でした。

自分の中の内向型と外向型

先程も少しだけ出てきた、外向型は内向型とは対照的に何か優秀な性格のように認識されている事を感じます。

しかし、僕は内向型と外向型のどちらが特別ということはなく、それぞれがお互いに補完できるように、認識できるような関係であることが唯一求められる事のように感じます

かく言う、僕の中には内向型な部分と外向型な部分が共存しているのかもしれないと思っています。

そして、そのどちらもを気に入っているのだが、最近では内向型の部分の方が、自分らしいなとか、これが強みだななどと思えるのです。

今までも内向型を意識した事は何度かありましたが、それを自分自身が認めてあげられる事はほとんど無かったように思うのです。

大学の時に読書を始めましたが、それは一人暮らしを始めて、家ではひとりになり、新しい趣味が欲しかったためであり、大抵の大学生はサークルに入って友達を作って、となりそうなものだが、僕には当てはまりませんでした。

そもそもサークルに入る事が、僕には全く魅力的に映らなかったのです。

それまでも部活などで、友人と過ごす事はあったけれど、大学のサークルには入りたいと思えませんでした。。

勉強する事は好きだったので、しっかり勉強もしていたし、そこで始めた趣味も読書とあって、かなり内向的な部分を強化した時期でもありました。

内向型を否定された過去

読書をし、勉強した大学生活は僕にとって間違いなく思い出深い時期です。

しかし、その時にもなんとも思っていなかったのですが、大学卒業後に就職して、同期にその時の話をしたら、思わぬことを言われ、今でもその記憶が鮮明に残っているのです。

「大学は暗黒時代だったんだね」

本当に衝撃でした。

それは僕が心の底から、少しも暗黒時代だなんて思っていなかったからです。

むしろ、読書という新しい趣味に出会えたし、サークルには入っていなくとも僕には十分なだけの友人もできた事で、大学時代は最高の日々だったと思っているからでした。

しかし、当時の同期から言わせれば暗黒時代なのです。

疑問に思って、別の同期や先輩などに聞いてみたが、僕の大学時代を暗黒時代という人の方が多く、さすがに落ち込むなんて事はありませんでしたが、ただ衝撃的だったのです。

内向型を愛せるようになった

この衝撃によって、僕は今まで意識していなかった自分の内向的な部分を意識するようになってしまいました。

衝撃をきっかけに内向的な自分を意識するようになったためか、どちらかと言えば、自虐的にネタとして内向的な自分を使っていたように思えます。

「根暗だからさぁ」とか、「友達少なくて」などを会話に折り込んで笑いにしてしまう事です。

その場では、笑いになるから良いけれど、自分を傷つける行動だとわかっていませんでした。

つまり自分の内向的な部分を愛せていなかったと言う事です。

それでも、ひとりで考え事をする時間はもっと楽しくなったし、お金に余裕が出来たから、学生の時よりも読書が捗って、今まで以上に好きになっていきました。

行動と心にギャップが出来てしまったのです。

この時ほど、内向的である事が、さもいけない事のように思えた時はありませんでした。

僕には外向的な部分もあったから、その後も別になんともありませんでしたが、もしもっと内向的な部分で自分が構成されていたら、その時の生活はストレスでしか無かった事でしょう。

しかし、あの衝撃からも時間が経って、良い本に巡り合ったお陰で、内向型を認識し、その性格が結構気に入っているのです。

今になって思うと、そんな風に内向的な部分を愛する事が出来たから、今のように少し孤独でも生活する事が出来ているのかなと思っています。

僕は会社に務めているわけじゃないし、近くに友達が住んでいるわけでもない。

幸い、パートナーは一緒に住んでいてくれるので、内向的な自分にはこの生活がちょうど良かったのかもしれません。

今日もひとりで書斎に籠り、パソコンに向かっているが、今はこの時間が楽しいと思えるのです。

ひとりで考え事する時間も、読書している時間も、執筆のために情報収集している時間でさえ、楽しいと感じます。

内向型に気づいた人へ

僕のように、ひとりの方が楽しめる人は、決して少なく無いと思います。

世の中で目立つのは、声が大きくて、周りに人が集まるような人だと思いますが、それだけが素晴らしく目指すべき姿では無いと思うのです。

内向型の人には、内向型の素晴らしさがあると思えます。

だから、僕は今日もゆっくり読書をしたいと思っています。

それではまた明日!