【エッセイ】何かを得れば、何かを失うという事


こんにちは!

なつのです!

本日は気づきに関するエッセイです!

何かを得れば何かを失う

ぼーっと何かを考える時間が好きだ。

静かな部屋でも良いし、ちょっとしたカフェでも良いし、電車に揺られながらでも良い。

窓から見える景色を眺めながら、考えているような、そうでもないような時間を過ごす事は、実は贅沢な時間なのだと知った。

これは、多分僕が元々、考えることが好きだからなのだけれど、だからこそ、ひとりでいる時間が必要になる時もあるし、毎日でなければ移動時間を苦に感じないのである。

同じぐらい、人と話すのも好きなのだけれど、話す事ばかりでも、考える事ばかりでも、どちらにせよどこかで疲れたり、つまらなくなってしまう、限界のようなものがある。

今は、たまたま考える時間が愛おしいと気がついただけの事である。

どうしてこんなことに気がついたのだろうか。

理由はとても簡単で、仕事に使う時間が長くなったからである。

僕はこれまで、個人で仕事をして来たが、会社員の方がやり易い仕事もあり、それに従事したいと気がついて、今は会社員と個人の仕事の複業体制に入っている。

自分で選んだ事だから、文句は無いし、それなりに充実感も伴っており、自分自身が何よりと言ったところである。

ただ、何かを得れば、何かを失うのは、世の中の理なのだ。

僕は、個人の数年間を過ごしたので、会社員のキャリアで考えれば、ブランクが数年あるようなものだったが、幸運にも良い条件で雇ってくれる会社に出会い、就職活動を始めてから2ヶ月ほどで、複業体制が始める事ができた。

本当に幸運だったのだ。

その代わりに失ったものは、何かを考える時間である。

個人で仕事している時にも、ずっとぼーっと考え事をしていたわけではないけれど、やはり時間の自由度という意味では、個人という働き方に軍配が上がる。

時間が自由であれば、朝だろうが、夜だろうが、いつでも好きな時に考え事をすることができる。

もちろん、考え事に限った話でなく、寝食も、仕事さえも、できる時間が限られないのである。

この魅力を享受するために、個人で働いているという人も多いだろう。

かつての僕もそうだったが、つまりは、ここ数年の経験によって、その考え方が変わって行ったという事である。

だから半身は会社員に戻ったのだけれど、全ての時間は自由で無くても良いけれど、何かを考える時間だけは、創出したいと感じている。

個人で働いている頃は、ありがたみに気が付けなかったけれど、こうやってパソコンに向かっていると、じわじわとありがたみが伝わってくるようである。

きっと、ここから先も、そんな事はたくさんあるのだけれど、その度に「得るものがあれば、失うものがあるのだ」と冷静に自分に言い聞かせよう。

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