【エッセイ】強制的には自分と向き合いたくない


こんにちは!

なつのです!

本日は自分を考えるエッセイです!

自分との会話

自分と向き合う日々だ。

これはきっといろんな要素が絡み合っている。

まずは、ここ数年、個人で働き出して、それを会社員に戻った今でも継続していること。

恥ずかしながら、こうやって自分のことを書いているのも、ひとつの仕事になっているし、何かを産み出す仕事をする以上は、自分と向き合う必要がある。

ストイックなようにも思えるかもしれないけれど、自分としては、それほどでもない。

これは、今までの辛かった時や、副業や独立して仕事しているような人に比べれば、僕はだいぶ自分で仕事量を調節できるようになっているから、かなり余裕がある状態だと思っている。

しかし、時間に余裕があった所で、やることは大きく変わらない。

だから、個人一本から、会社員と個人の仕事を兼業することになっても、個人時代の自分に向き合う時間を持つ習慣は無くならなかった。

ただ、個人の仕事を続けていることだけが、自分と向き合う理由ではない。

仕事と同じくらい、生活にも影響を受けている。

僕は、この春から、会社員に戻るのと同じタイミングで、ひとり暮らしに戻っている。

今までは、大学時代も弟とルームシェアしていたり、新卒で入った会社は独身寮だったから、家のどこにでも知り合いがいた。

独身寮を出たのは、パートナーと同棲を始めるためだったから、もう10年も本当のひとり暮らしをして来なかったと言える。

とはいえ、会社の独身寮時代は、ひとりで副業にも没頭できるぐらいの個人的なスペースはあったから、新卒で入った会社の独身寮を出るまでの期間は、ひとりの時間も多かった。

その後、同棲生活になっても、個人の仕事をする時には、ひとりの空間を欲したし、パートナーがそれを許してくれたからこそ、今の仕事があるようなものだった。

しかしながら、今回のひとり暮らしは今までのそれとは、明らかに環境が違うと感じる。

特に違うと感じるのは、嫌でも自分に向き合うだけの時間ができたということである。

これまで誰かと住んでいて、ひとりの時間を設けていた時は、ひとりの空間で仕事に集中し、それが終われば誰かとの会話を楽しむ事ができた。

この会話は積極的に会話しようと思わなくとも、「何気なく」できてしまうところが良い。

確かにひとり暮らしであっても、電話する事もできるが、電話するという行為を挟む以上は、「何気なく」できる会話とは、少しだけ違うものになってしまう。

ご飯を食べて、「おいしいね」と伝えることだけでは、わざわざ電話しようとならないのだ。

このように、誰かが一緒に住んでいる時にしか、何気ない会話は発生しにくいのだ。

必然に、ひとりで過ごす時間は、誰と会話する訳でもないので、自分との会話になる。

これがつまり、自分に向き合うことだ。

自分に向き合うことが悪い訳ではないのだが、やりたくもない時にこうなってしまうのが、なんとも歯痒いのだ。

下手をすれば、体にも悪い。

これを解消してくれるのが、趣味だったり、別の仕事だったりするのだけれど、僕個人としては、ひとりの生活は、仕事も趣味も持て余す程の時間があるのではないかと思う。

もし、今誰かと住んでいることに慣れて過ぎて、何も感じないのであれば、一度その生活になった最初の頃を思い出して欲しい。

きっと、今一緒に住んでくれている人のことを大切に思えるだろう。

ひとり暮らしは悪いことばかりでも無いのだけれど、逆もまた然りなのだ。

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