【エッセイ】どん底で見つけた許せる自分

どん底とはこういう所なのかもしれない。

失恋して落ちているのがきっかけだったけれど、落ち込んで仕事をしたことによって、気分が紛れた所はあったけれど、後になって見るとミスも多いし、体調不良になり人に任せる仕事がいくつかできてしまい、結局のところ職場でも申し訳ないような状態になってしまう。

仕事だけではない。

先週、体調不良で寝込んでいた時に、ふと目に入ったカポックという観葉植物がずっと日に当たっていなかったと感じて、ベランダに出したが、気持ちに余裕が無かったために、長時間放置してしまって、青青としていた葉のいくつかが黄色く変色してしまっていた。

もう半年以上も成長を見守って来た植物だったし、今まではこんなことが無かったので、悲しい気持ちになってしまった。

友人や家族と過ごしている時には、楽しいと思えるから、絶望はしていないのだけれど、かつて仕事で適応障害になった時の状態に類似している事が怖い。

「なんのために仕事しているのだろう」とか、「体も気持ちも辛いのに」とかそんなことが頭をぐるぐるしてしまうのだ。

きっかけはなんであれ、大きなショックは仕事を含めての私生活にかなりの影響を及ぼす。

今年になってから、変化もショックも大き過ぎて、いつの間にか体も心もギリギリの状態になっていたのだろう。

それでも、欲しい未来があったし、それに近づいていると信じることができたから、奮い立っていたのだと思う。

だから、ひとつのきっかけで脆く崩れた。

そして、どん底を感じてしまった。

さて、ではここで32歳の男は終わってしまうのだろうか。

実際に、こうやって物書きを続けられていることからも、終わりではない。

そしてもう一つ気が付いた事がある。

それは、どん底ではあっても、最悪ではないということだ。

わかりやすく表現するのなら、もっと悪いことが起こる可能性も十分にあったということである。

仕事で迷惑をかけることにはなったけれど、辞めさせられたりはしていないし、もし辞めさせられたところで個人の仕事でも食っていける。

もしかしたら、時と場合によれば、自暴自棄になっていたかもしれないけれど、そうもならなかった。

これがもっと年齢を重ねていたら、個人での仕事を続けていなかったらと思うと、最悪の事態にもなり得た。

どん底にはいるのだけれど、「それでも、なんとかなる」と思えるだけの知恵とか道具などがあったのだ。

過去の自分が原因でどん底に落ちたのだけれど、過去の自分のお陰で「なんとかなった」のである。

なんとも不思議な感覚であるが、先週まで過去の自分を責めることしかできなかったけれど、皮肉にもどん底を感じたことで、自分を許せるようにもなった。

そして、たぶんだけど、これは僕だけに限った話ではないと思う。

辛く苦しい時には、ネガティブになり、悪い面にしか目が行かなくなるものだ。

そこはどん底かもしれない。

でも、自分の心の中も含めて周りを見渡して欲しい。

どん底かもしれないけれど、最悪ではないはずだ。

すると、どん底で自分を責めることを辞めて、最悪にならずに済んだ自分を許し、認められるようになる。

僕もまだどん底にいるのだけれど、同じようにどん底を感じている人に、「そんなに自分を責める必要ないよ」と伝えたい。