【エッセイ】キツい時にはやり過ごす

こんにちは!

なつのです!

やり過ごすって悪いことばかりではありません。

心に余裕がない時には、ひとつの生存戦略として活用できるのかなと思います!

キツい時にはやり過ごす

なんとなくやり過ごす日々が続いていたように思う。

今年に入ったところでなかなかに衝撃的なことに見舞われて以降、落ち込まないぞとは言いつつも、体も心も思ったよりも正直だった。

仕事は普段通りにしていたけれど、家事をサボってみたり、自堕落な生活をしてみたりとあまりいい気持ちにはなれない生活を3週間近くも送ってしまっていた。

このままではいけないと思えたのが幸いで、部屋の片付けをしてからだいぶ元の調子に戻りつつある。

そこまでの日常と言えば、やり過ごすという言葉が一番しっくりくる。

良くないけれど、悪くもないみたいな、いつもならなんとなく避けてしまいそうな感覚。

でも、気分が落ちている時には、やり過ごすことはとても有効だと知っている。

正確には、半年前に教えてもらって知った。

何も上手くいかなそうだとか、どうしても頭とか心が別のところに向いてしまいそうな時には、やり過ごすことも重要なのだ。

やり過ごせば勝手にまわりが変化するから、同じ場所にいるように思えても実は環境が少しだけ変化している。

あくまでも最終的には自分でなんとかしないといけないのは自分なのだけれど、逆に自分が変わってない状態でやり過ごすことができるのなら、勝手に他人は他人で変化するということだ。

環境は自分の捉え方と他人との関係性で出来上がることも多いから、他人が勝手に変わってくれたところに自分が変わらずにいたというだけで、環境は変化している。

自分に変化するだけの余裕がある時にだけ変化を求めれば良いし、その余裕がないのなら他人が勝手に変化するのを眺めているのも良いと思う。

どれだけごねようとも時間は流れ、そうしている間に季節は変化し、いつの間にか良い流れになっていたなんてことも珍しくない。

ずっと雨が降っている事もないし、ずっと寒い冬である事もないはずだ。

こう思うことができるようになっていたから大して落ち込まずに3週間程度やり過ごしてもう後は元通りとなったのだろう。

考え方は非常に重要だと、改めて思い知った。

そろそろやり過ごす時間はおしまいだ。

また自分を変える時が来たのだと、そう思った。

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