【エッセイ】別れの後に「救い」はある

こんにちは!

なつのです!

今日は報われた気持ちになった話をしたいと思います。

今、まさに辛い思いをしているという人に読んでほしいです。

別れの後に「救い」はある

わかってくれる人がいるということ、それが僕は嬉しかった。

僕は32歳という年齢で大きな失恋を経験した。

30を過ぎると、もう恋愛だのというよりも家庭だなんだと言っている方がしっくり来るような年齢のように思うのはきっと僕だけではないだろう。

僕自身も30歳手前で強く結婚を意識していたから、そんな期間に長くお付き合いしていたとあっては結婚を考えるのは自然なことだと思っていた。

しかし、32歳になった直後に「あなたは必要ない」「プロポーズされたけど結婚は考えてなかった」「将来なんて考えられない」とあれやこれやと電話で伝えられて5年の関係は簡単に終わった。

そこから落ち込んだのは言うまでもないし、このブログにも何度か書いてきた。

今読み返すと痛ましい文章だ。

それでもこんな文章に救われたと言ってくれる人もいるのだ。

世間がクリスマスだなんだと言ったところで一方では辛い思いをしている人だって何人もいる。

半年前の僕そのものなのだ。

そんな半年前の自分に声をかけることはできないけれど、もしそれが可能なら伝えたいことができたのでそれを文章にしたかったのだ。

僕は失恋を経験したが時間薬が効き、落ち込みが嘘だったように活動的な毎日を送った。

仕事ももちろんだが、今度はちゃんと結婚を意識してくれるパートナーと出会いたいという思いで私生活が活動的になった。

コロナということもあって行動は制限されたが、運が良かったのか3ヶ月で素敵なパートナーと出会うことができた。

お付き合いが始まってまだ1ヶ月ほどだが、お互いが結婚を意識して出会っていたからなのか、過去あれほど口にしにくかった結婚の話がすんなりと出る。

パートナーは僕と同じ32歳で、多分過去の僕よりも強く結婚を意識しているのだろう。

それでも現実的にはやはりもう少しお互いを知る時間が必要になるだろうから、すぐに結婚とはならないだろうけど、これまでとは全く違う感覚に驚きを隠せなかった。

それはこれまでに将来のことを考えて話すだけで、相手が嫌な気持ちになったことしか経験がなかったからである。

結婚をするとなれば、子供が欲しいかとか、今後のお金のこととか何かと考えなければならないことはたくさんあると僕は思っている。

もちろん結局のところは予想外のことがたくさん起こるだろうし、先の事を考えて不安感に駆られてどうしようもなくなるぐらいなら考えないほうが良い。

でも、無用な心配事を減らすのは考えるという行為の重要な一部分でもある。

将来を真面目に考えて、行動していたにも関わらず、それを「将来なんて考えられない」と一蹴されたのだから自信もなくなる。

ただ、僕はやはり将来のことを考えてしまうし、それを間違いだとはどうしても思えずにいたのだ。

失恋後のモヤモヤは多分そこにあった。

そんなモヤモヤをかき消してくれたのがパートナーだった。

パートナー自身もよく将来こんなことをしたいと話をしてくれるので、僕も将来についてのことを自然に話すことができるようになったのだ。

そんな折、パートナーから言われた一言がある。

「ちゃんと将来を考えてくれるのが本当に嬉しい」

この一言がここ数年、僕の胸にモヤモヤと立ち込めていた霧を消してくれた。

将来のこと考えるのにピリピリしなくて良いんだと安堵したのだ。

将来のことを全く考えずに生活するのが悪いと言いたいわけではない。

ただ単純に僕が大切にしていた考えと合わなかっただけの話で、同じ考えを大切にしてくれる人が必ずいるということだ。

今まさに辛い思いをしている人は、きっと自分の考えとか大切な思いとかが間違っているのかと悩んでいるのだと思う。

そんな過去の自分のような方に伝えたいのは、あなたをわかってくれる人は絶対にいるよということ。

そしてそれは数奇なものでは全くなく、一定数あると思っている。

それに巡り合いたいのならクサクサしている時間はちょっともったいない。

無理に活動的になる必要はないけれど、不安ではなく希望を抱いて日常を送って見てほしい。

結構意外なタイミングで辛い思いは報われることもあるのだから。

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