【エッセイ】失った後の波

こんにちは!

なつのです!

今日は失った後について書きます。

失った後の波

失うことを経験すると次には何が来るのか。

僕はここ1年で幾らかの人間関係と、多くのものを失ってきた。

ものはなんとでもなりそうだが、人間関係はそう簡単ではない。

それの悲しさとかどうしようもなさを知っているからこそ、誰かと別れるというのは非常に辛く苦しいことなのである。

これまで当たり前のように接していた人が居なくなる。

これまでのやりとりももう過去のことであり、再現しようもなく、後悔ばかりが頭をよぎるようになる。

失うとはそういうことだ。

失うことは珍しいことではないけれど、それがいくつも重なるのは珍しいことだ。

今回のこととはまた違った悲しみだったけれど、親族が次々に亡くなっていった時のことを思い出す。

僕の祖父が事故で亡くなった後、祖父の兄弟が病に倒れたり、その奥さんや旦那さんが亡くなるということが頻発した時があったのだ。

立て続けに別れが来て、次々と失ったのである。

悲しくなることさえ忘れるほどだった。

なんとなく一家全体、親族全体が悲しい気持ちになってしまっていた。

しかし、その後親族の中には結婚した人も多く、そこから子供も生まれ、どんどんと明るい話が舞い込んできたのを思えている。

ほんの数年の間に起こった話である。

まぁこれは、喪に伏している時に結婚を延期したというのが根底にはあるけれど、それでも不幸の後にはめでたい波が来たのは間違いない。

つまり、失った後には何かしら得るものがあるということであり、そういう波が必ず来るということである。

失ってばかりでは何もなくなるようになるが、不思議と失って空いた所には何かが入るようになる。

だから人間関係もものも一定数以上は心地よくなくなり、自然とちょうど良い所に収まるようになる。

自分が死なずにいれば、必ずその波は来る。

それを待つのも一つの手だ。

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