【エッセイ】動き出した自分

いつまでも、ひとりでいたいとは全く思わない。

ひとりで過ごす時間は、やはり寂しさを感じるが、これは今の状況になってからというものではない。

もちろん、ひとりでできる趣味や、仕事の時には、ひとりになる方が心地良いというか、集中できない事もある。

でも、仕事している時間も、ずっとひとりでいると病んでしまうの人も多い。

友人に、Webエンジニアが何人かいるけれど、周りに人がいるにも関わらず、会話も少なく、病んでしまって退職する人も少なくないようだ。

誰にも干渉されずに生きることを望む人もいるだろうけど、本当にそれがいつまでも続くのだろうか。

僕はできる限り誰かと話していたいと思う人間だ。

同じ空間に、話せる人がいることが楽しいと感じるし、くだらない話も全てが無駄だとも思わない。

ダラダラと過ごす日常にさえ、やはり会話は欠かせないと思うのだ。

今、精神的な疲れから、少々の休みをもらっているが、ひとりの空間を楽しめない時間の方が長いと感じる。

これまで、誰かと共に時間を過ごすというのがあまりにも長かったためだろう。

後遺症のようなものだと思っている。

一度、甘い蜜を吸ってしまうと、その味が忘れられないというのは、よく聞く話だけれど、僕もそうなっていたということだ。

ただ、過去に戻ることもできないし、悔やもうが、悲しもうが、無意味だ。

今できることは、ちょっとでも良いから前に進むことである。

この1ヶ月の間に、自分を励まし、認めるような言葉を、沢山いただくこともあったし、自分自身に言い聞かせて、なんとか生きている。

友人が心配して家を訪れてくれる事もあったし、2000kmほども車で走り思う存分ドライブもした。

下手ながらも、なんとかこうやって生活をしている。

まだ、この生活には、誰かと日常的に会話するということが欠けているように感じるけれど、そこがどうしても嫌だと思うのなら、行動するしか方法はない。

だから、体調をみつつにはなるが、新しいパートナーを探そうと決めた。

これは惑う事なき、新しい一歩なのだ。

「死にたい」とか「自分なんてどうでもいい」とか、思っていたところからすれば、だいぶ気持ちが前向きになっていると感じる。

心が勝手に振り返る事もないわけではないと思うけれど、それこそどうでもいい。

僕は、もう動き出したのだ。

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