【エッセイ】長期休暇も苦しい

長期の療養に入った。

会社に勤め始めてまだそれほど時間が経ったわけではないが、心身に大きなダメージを受けてしまったことで、身体が先行して止まり、心が追い付かない状態で、病院にいくことになった。

「しばし休養してください」

そう、主治医に言われて、驚いたのは自分自身だった。

そして、今日から、人生で2度目の長期休養に入った。

昨日の夜から2種の薬を飲んでいるが、片方の影響か、朝起きても少しだけ頭がぼうっとする。

確かにここ最近は、睡眠障害が出ていたし、朝が辛いことも多かった。

これらはうつ病のサインにも含まれるものだから、気をつけていたけれど、まさか自分が思うより早く病院の先生に伝えたれるようになるとは思っていなかった。

始業の時間になってもグダグダとしている自分に、強い罪悪感を覚えてしまう。

とても酷い気分で、自分の弱さに嫌気がさしている。

良い時には身体が動かないこともない。

ただ、酷く落ち込むこともあり、そんな時にはなにもできない。

シンクが洗い物でいっぱいになっているし、冷蔵庫の中も空っぽだ。

食べ物を買いに行くべきなのだろうけど、なんだかそんな気分にもならない。

こうやって文章にしてみると、どう考えても病んでいる。

寝ていても辛いから起き上がってみたけれど、正直なところなにもやる気が湧かない。

少しだけ落ち着いて来たから、こうやって文章を書いているけれど、ギリギリだと感じる。

かつて、ひとり暮らしで風邪をひいてしまったときを思い出す。

誰もいない部屋で、なにもやる気が起きず、ただただ横になって、ぼうっとしている。

風邪は薬を飲んで休めば治るけれど、心が病んでしまっているのは、薬を飲んで休んでも短期間では良くならない可能性が高い。

実際に、主治医からは最低でも1ヶ月は様子を観るように言われている。

こんな状態がいつまで続くのかわからないのは、本当に心が苦しい。

休んでいようが心が苦しいし、起きて活動していようが心が苦しい。

きっとしばらくは心が休まらないのだと、諦めている状態になった。

ただ、ここで休養を取らなければ、もっと悪い状態になったのだと、自分に言い聞かせる。

これ以上に心が病んでしまえば、再起できなくなる可能性も十分にあるのだ。

仕事について間もないとか、急に仕事を同僚に任せなければいけなくなってしまったとか、ひとり暮らしで自宅療養も苦しいとか、そんなの全部、気にすること自体が間違っているのだ。

今は気持ちが良い方に向くようなことを、気持ちの向くままにすることだ。

自分の事だから、「こんなことで良いのか」と厳しい言葉をかけてしまうけれど、もし友人が今の自分の状態だったら、その友人になにを言うか考えている。

「無理しなくても良い」とか「やりたい事をできると思ったらやればいい」とか、多分そんな言葉をかけるだろう。

それらの言葉を自分にかけてあげれば良いのだ。

弱いかもしれない。

でも、これが正真正銘の自分なのだ。