【エッセイ】辛く悲しいことは糧になる

こんにちは!

なつのです!

今日は辛く悲しい思いをしている人へ向けたエッセイになります。

エールになればと思います。

辛く悲しいことは糧になる

よくよく見回すと楽しみはたくさんあった。

僕は今年の前半に酷く落ち込み、辛く悲しい経験をした。

その時には「楽しいことなんて何もない」とか「今まで何のために頑張ってきたのかな」などと悲観的になった。

正直なところなんだか生きている価値がないのではと思う時もあった。

今までの人生の中でもかなり酷い時間を過ごしたと感じる。

仕事は最低限するけれど抜け殻状態だったし、気晴らしに出掛けても心はモヤモヤするばかりだった。

ひとりでいることが辛くて死にそうだった。

それでも友人やフォロワーさんの温かい言葉と励ましで、時間薬の効果を待つことができた。

復帰して間もなくはやはりまだまだ心的にも辛いタイミングもあったけれど、そこからは割と順調に回復することが叶った。

復帰したのは3ヶ月前のことだけれど、今は仕事にもプライベートにも前向きになっている。

今まさに落ち込んでいたあの時と同じ部屋で同じようにパソコンに向かっているけれど、心の様相は全く異なる。

辛く悲しいことを紛らわすことなく、ただ単純に楽しいことを肌で感じて探し当てるような状態になっている。

どんなことにもポジティブな面を見つけると言い換えることもできるかもしれない。

楽観的と言ってしまえばそれまでだけれど、この状態はかなり強い。

こんな状態になるのは社会人になってからは初めてのことで、僕は大学生の頃にしかこの状態を経験したことがない。

大学生の時にはお金はなかったけれど、とても前向きでいられた。

そこにも友人や支えてくれる人がたくさんいた。

自分自身も前向きでいる方が楽だったし、前向きでいるから友人や周りの大人との関係性も心地良くなっていた。

今がその状態には到底なっていないし、そもそも会社という場所が学校と同じ環境になるわけがない。

ただ、心の様相があの時と同じなのである。

もしかしたら僕の今の状況に放り込まれたら挫けてしまう人がいるかもしれないが、そうならないのは心の様相があの時を取り戻したからなのである。

そして周りを改めて見回してみる。

すると結構楽しいことは溢れているものだ。

ひとり暮らしになったから家での会話はなくなってしまったけれど、代わりに新しい出会いがあった。

車を手放した生活をしてみようとか、どれだけ節約生活で満足できるかなどの実験ができる。

なかなかに自由で楽しい日々ではないか。

それでもやはり家で誰かと話したいなとか、一緒に過ごしたいなとは思うけれど、この心の様相であればそこに行き着くまでの道中だって楽しめるのだ。

辛く悲しいことは誰にでもある。

それでもどこかでそれが糧になり「そんな時もあったね」と振り返られる時が来る。

その先をどう進むかにはあなた自身の心の様相が大きく関係する。

挫けそうになればもう一度自分の心を取り戻すことに専念してみることである。

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