【エッセイ】「とどまる」という選択肢

「その場にとどまる」という選択肢を、僕は自ら放棄していたように思う。

僕は、元々の性格で、何かをするためには、何か行動が必要だと思って、すぐに行動する癖がある。

この特性は、一概に悪いというつもりもない。

それは、自分の弁護ではなく、実際にこの特性があったから上手くいったことも何度もあるからなのだ。

しかし、今回のように、身動きができなくなってしまうほどの困難というか、不運というか、それにぶつかった時には、この特性があることで、自分から見ても、他人から見ても、どこか空回りしているように見えてしまうのかもしれない。

反省ではなく、ただただ目から鱗だった。

これは「目的もなく行動すれば、空回りになるのは当たり前だ」などと言うような議論ではない。

行動しないで、じっと流れに身を任せるということ自体が、現状への対処法として選択できるという事であり、僕はそれに気がついていなかったのだ。

昨日の記事をアップした後に、フォロワーの方から、励ましの言葉をいくつもいただいた。

その中に、「動かずにじっと待つ事」も選択肢なのですよ、と教えてくださるものがあった。

僕は、その言葉を読んだ瞬間に、「動く事が全てではないのか」とそれだけで救われたような気持ちになった。

この半年で、僕に起こった不運みたいなものは、間違いなく自分に起こった事実なのだけれど、それに対処しようとばかり考えて、動き回っていた。

さも「動かなければ、事実の辛さに飲み込まれて死んでしまう」と言わんばかりだった。

つい、昨日までの自分の事だから、こうやって明から様に書いてしまうと、恥ずかしいのだけれど、本当にそうだったのだから仕方がない。

実際、僕は大きな衝撃に耐えられずに、何かするという行為にだけ逃げまくっていたし、そうやっていくうちに時間が流れて、解決したように思えれば、それもひとつの答えだと思っている。

たぶん、これも間違いではない。

ただ、僕が知らなかったのは「身動きを取らない」という選択肢だった。

昨日、僕は「深い霧の中にいるようだ」と表現した。

別に、今日になったところで、その状況が大きく変わる事もない。

しかし、「身動きを取らない」という選択肢が増えたので、その場にとどまる事を選べるようになったのだ。

もちろん、これが正解かどうかもわからない。

でも、心地良いと思える選択肢が増えた事で、気が楽になったのだ。

悩んで、辛く、苦しい時もあるだろう。

だからこそ、心地良い何かがわかるようになる。

とどまれたから、気がつけた事だ。