
昨日、僕が落ち込んでいると知って友人が遊びに来てくれた。
体調も崩していたし、身の回りのこともほとんど放置してしまっていたので、「明日遊びに行くよ」と言われた時に、焦って片付けをした。
そうでもしないと、部屋も心も乱れたままになっていてだろうから、良い機会をくれた。
土曜の夕方近くに部屋を訪れた友人は、僕の6畳一間の部屋を見て、「なんか大学1年の時を思い出すな」と言って、その頃と同じような様子で、自然に腰掛けた。
彼は、僕の友人の中でも一番に気心が知れていて、気を遣わずに接して合える。
だからこそ、今のような状況でも、落ち着いて話せるし、思い出話も馬鹿話もできて、本当に嬉しい。
体調を崩して2日間の休みをひとりで過ごしていたから、土日の夜がしんどい時間になると覚悟していた。
やはり、大部分のダメージは急に孤独になったことが原因だろうから、応急処置的にでも、ひとりの時間を減らすことは効果的だった。
友人がそれを一番わかっていて、わざわざ泊まりにまで来てくれたのだ。
僕自身は、まだ病み上がりで、さすがにお酒は遠慮してしまったが、友人はちゃんと飲んでくれたから、僕も気兼ねなく話すことができた。
話は、今回の僕のことがメインだったけれど、それ以上に20年来の付き合いの中でも知らなかったことを、友人は教えてくれた。
彼とは、中学校時代に私塾で出会い、同じ学舎になったのは大学の時からだったけれど、大学院までの6年間は本当によく話した。
それにも関わらず、知らなかったことをお互いに話したのだから、感慨深くなるのは当然のことだった。
「結構、大学1、2年の時には悩んでいてなぁ。俺も荒れてたよ」
彼はそう言ったけれど、当時は決してそんな風には見えなかった。
それは、僕が今よりももっと幼稚だったから気が付けなかったことだった。
彼には、頼ってばかりだ。
今回のような話は、いつもはせず、どちらかと言えば大学時代の馬鹿話が多いから、昨日はいつもとだいぶ雰囲気が違った。
それでも、彼と話していると不思議で、お互い辛かった話をしているのに、笑い飛ばせるのだ。
僕らはいつも平気で数時間話しこんでしまうけれど、今回も例外でなかった。
何時間も笑いながら話し、彼がいよいよ酔って「眠い」と言うまで、ずっと話こんでしまった。
ここ最近は、眠りにつく間際まで落ちていることが大半だったから、昨日ほどゆっくりと眠りにつけたのは久しぶりの感覚だった。
彼は、今日の朝ご飯を食べて帰っていったけれど、十分すぎるぐらいに活力をくれた。
本当にありがとう。
さすがに、傷が癒えるにはもうしばらくの時間が掛かってしまうかも知れないけれど、それでも「何のために生きているのかわからない」などと思うには、まだまだ早いのだと思えた。
恋愛とか、結婚も、僕の中ではきっと重要なものなのだろうけど、それと同じぐらいに大切な繋がりもある。
その繋がりに居続けるだけで、楽しいし、それも生きる意味になる。
彼はそんな勇気を教えてくれたのだ。