【エッセイ】見直した自分の「春夏秋冬」

今は「冬」だった。

パートナーが離れて行って、もう1ヶ月が経過した。

別れて間もない時に比べれば、だいぶ気持ちは楽になったけれど、条件とか時間によると、ひどく落ちる時がまだある。

しかし、時間薬が効いているのだろう。

次に進んでいるものもあるし、動き出しているものもある。

心が追いつかない時もあったけれど、心と体のラグは少なくなって来ていて、先に体が動いた自分にも感謝できるぐらいだった。

体が追いついてきた事で、ひとつ気がついたことがある。

それは、「悪いことは良いことが起こる前兆」だというものである。

この1ヶ月で僕自身に起こったことは、間違いなく悪いことだった。

まだ過去形で言えるほどの時間は経過していないし、今もまだその影響下にいるのは言うまでもない。

ただ、この1ヶ月では耳にすら入らなかった「悪いことは良いことが起こる前兆」という言葉は、今の僕には追い風のような言葉だ。

このような言葉は、一見するとスピリチュアルなだけに思われるだろうけど、過去に読んだ本にも、「秋を過ぎ、冬を迎えれば、次に来るのは春で、気付けば夏」のように春夏秋冬になぞらえて、人生の浮き沈みを説いていた。

しかも、これを書いているのは神田昌典さんという、多くのビジネス書の著者であり、どちらかと言えば現実主義的な考えを言葉にする人なので、感銘を受けた。

この記事を書いたのは、今年の1月で、僕の季節も「冬」だった。

この本の中では、ひとつの季節が3年続くとされ、僕は2年目の「冬」にいる。

悲劇を象徴するのは「秋」なのだけれど、今が「冬」なら、次に迎えるのは「春」であるはずだ。

これがたぶん、「悪いことは良いことが起こる前兆」ということなのだろう。

そう思えば、今は芽を伸ばすより、根を張る時期と割り切ることだってできる。

気持ちが楽になるように自分を騙しているようだけれど、自分のそういう時期を認めて、許すという感覚なら、これで良いのではないかと思える。

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