【エッセイ】外で書くということ

こんにちは!

なつのです!

先週末久々に都内のカフェで過ごした時間に感じたことをエッセイとしました。

外で書くということ

久しぶりに外での執筆を味わう。

コロナ禍に入ってから久しく外での執筆活動は自粛してきた。

一度だけ傷心旅行と題して車中泊に出掛けた時以外は、物書きの仕事は全て自分の住む6畳一間で完結してきた。

緊急事態宣言が解除となり、都心に出られるようになって安堵していると、たまたま都内に出る用事ができ少し空いた時間にカフェに入って執筆することとなった。

基本的には人混みが苦手で家での作業が苦でない僕は外で作業することはかつてよりは少なくなったけど、コロナ禍を経験したせいでそんな「あまりやらなかったこと」でさえ懐かしいと感じるほどになっていた。

約2年もの間、家でひとりの空間でやってきた執筆活動だ。

久々に外でパソコンを叩くことに懐かしさを覚えるぐらいは良いだろう。

人の雑踏というか話し声を聞きながらの作業は思いの外捗るもので、人によってはわざわざ人のいる場所で仕事したいという人さえいるぐらいだ。

僕はそこまでではないが、今日のように多くの人の中で仕事をしていると「わからなくもないな」という感覚を覚える。

他のテーブルで誰かが何かを話しているのは間違いなく耳に伝わっているのだけれど、頭には入っていない感じで集中しているのはパソコンの文面だけという状態なのだ。

きっと人混みで仕事したいという人もこんな感覚で仕事しているのではないかと思う。

今回は用事と用事の間の1時間ほどの作業時間だったけれど、いつもとは少しだけ違う時間が流れるのを感じざるを得なかった。

カフェで仕事するなどただカッコつけてるだけだろと副業を始めた4年前は思っていたけれど、ずっとパソコンに向かい続ける時に訪れるマンネリの解消には最適なのかもしれない。

もうひとつ思ったのは人混みの中でも、ひとりでいる時もやっていることは違わないなということ。

これは生活にも当てはまるのではないか。

僕は都会に住みたいと思ったことがない。

趣味の車も続けにくくなるし、できれば最大の月固定費となる家賃は少なく抑えたいから。

行きたい時に小1時間程度で都心に出ることができるぐらいの方が、ちょうど良いなと心地よさを感じるのだ。

きっと仕事もこれに当てはまるのだ。

物書きの仕事のほとんどはパソコンがあればどこでもできる。

それが人混みの中だろうが、ひとりの部屋だろうがやることは一緒だ。

僕はいつも人混みの中で仕事したいとは思わないけれど、たまにこうやって人混みの中で気分転換としてパソコンに向かうのもなんというか悪くない。

4年前の自分がこの文章を読んだらなんと思うのだろうかわからないけれど、「まぁ行き詰まったなら外でやってみるのもアリじゃない?」ぐらいのことは言ってあげたいものだ。

それでも僕はこうやって都心にでも出ない限りはカフェで書くかなんてなりにくいだろうけど、こういう手段がまた取れるような世の中になったということは喜ばしいことだ。

そんなことを感じた日曜の昼下がりのカフェだった。

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