【エッセイ】尊敬するじいちゃん

こんにちは!

なつのです!

僕の尊敬する人の話をさせてください。

尊敬するじいちゃん

今年もこの日を迎えました。

僕にとって今日5月13日は良い日とは言えません。

なぜかと言えば、今日のこの日に僕はこれまでの人生の中でもっとも尊敬している人を亡くしたからです。

8年前、僕の祖父は5月13日に亡くなりました。

そんなに時間が経ってしまったのかと、不思議な気持ちになります。

僕にとって祖父は人生の目標であり続けています。

祖父の父母、つまり僕の祖祖父母は生まれつき体が弱く、病院に行かねばならないのにお金がないという状況でした。

祖父は早くに兄を亡くしたため4人も下にいる兄弟姉妹を食わすことで精一杯でした。

戦争の最中だったこともあり、本当に辛い思いをしてきたそうです。

そのような辛い状況の中で支え合える人と結婚し、家庭を持ち、母を含む3人の娘にも恵まれました。

こうやって文字にして想像すると、大変そうに思える部分もありますが、どこか幸せそうな想像ができるのはやはり祖父の色んな表情を知っているからなのでしょうか。

祖父は娘をちゃんと学校に通わせるために、本業の農家だけでなく出稼ぎのような仕事もやりました。

3人娘は皆立派に仕事するようになり、やがて家庭を持ち、祖父は長女のところに生まれた孫を4人も育て上げました。

そのうちのひとりが僕です。

うちは父親が単身赴任でしたし、母親もフルタイムで働きに出ていたので、基本的に子守りをしてくれていたのは祖父母でした。

幼稚園の送り迎えは祖父の運転する軽トラックでしたし、夕飯は祖母が作ってくれるものがほとんどでした。

ちゃんと育ててもらっただけでも感謝しかないのですが、祖父はそれ以上のことを僕ら兄弟に教えてくれていたように思います。

僕ら兄弟は男4人兄弟ともあって、小学校に上がる前からちょこちょこ農作業を手伝ってきました。

祖父にとっては労働力となる男手を使わないてはありませんから。

もちろん多感な時期には僕ら兄弟もそんな手伝いを嫌がったことは数えきれないほどあります。

ただ、手伝いとは言っても仕事は仕事であり、僕らは祖父から仕事ってどういうものなのかをちゃんと教えられました。

「人のために…」とかそんな崇高なものではありませんでしたが、貧乏で家族を養えるかどうかわからない時代を経験した祖父からの教えは幼い時に聞いたにも関わらず鮮明に思い出せるほど、深く強く残っています。

ご飯を食べられるというありがたみとか、仕事をしてお金をもらって家族と支え合うとか、言葉にするとあたり前のようだけれど、ややもするとすぐに忘れてしまいそうなことを、ちゃんと子供の頃から教えてくれていたのです。

僕にとって祖父と仕事ができたのはとても幸せなことだったのだと思えます。

改めて、言いたい言葉で今日は締めます。

じいちゃん、ありがとう。

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