
失恋から1週間が経った。
「もう戻らない関係なんだ」とか、「もう一生話すことも無いんだ」とか、そんな当たり前のことを理解できるようになってきた。
ほんの少しだけ、前向きになっているのかなと思っていた。
しかし、今朝、目を覚ますと、身体がいつもの何倍も重いことに気が付くことになった。
動くことができなかった。
ようやく上司に電話し、体調不良で会社を休むことだけを伝えることができるぐらいで、全くと言って良いほどに何もする気力が湧かなかった。
思えば、今年になってから半年の間に、様々な変化があり、心が揺さぶられることも何度もあった。
2020年から2021年になった時、僕はまだ個人事業主として働いていたが、一方でかつての会社員時代の仕事ができないものか、と考えていた。
個人の仕事が軌道に乗っていたというのもあるけれど、それだけが理由ではなかったのかもしれない。
「会社員の仕事をすれば、パートナーをもっと安心させられる」「自分の稼ぎだけで十分に家族を養える」という、結婚生活を送りたい願望もあっての就職の道だった。
そんな思いを抱きながら、就職活動をしていると、傍らでこちらも転職活動しているパートナーの姿があった。
お互いに就職活動している時から、「もしかしたら別々に暮らすことになるのかもなぁ」とぼんやり思っていたけれど、いつもなら笑って話してくれるパートナーが、泣きながら「同棲を解消したい」「仕事に集中したいから別々に暮らしたい」と言った時には、心が軋んだ。
でも、この段階では、「別々に住むのはお互いの為だ」と本気で感じていたから、心は傷んでも強く行動することは難しくなかった。
辛いけど頑張れる、みたいな、自己犠牲的な自分に酔っていたのかもしれない。
ふたりの就職活動は、順調に進み、お互いに春からは新しい仕事に就くことが決まった。
就職先が決まってからも、引っ越しや仕事の引き継ぎなどで、お互いに忙しい日々を過ごした。
本当に目まぐるしく毎日が過ぎ去り、あれだけ寒かった就職活動の時期が嘘のように、暖かい季節になっていた。
春になり、別々のところに住み、お互いに新しい仕事を始めたふたりだったが、よく連絡だけは取っていた。
毎日とはいかないまでも、2、3日もすると、どちらかがどちらかに電話をしていた。
4月までは週末になると、僕がパートナーの所に遊びに行って、そこから買い物に行ったり、パートナーの家でまったりと過ごした。
確かに、同棲は解消したけれど、付き合い出した頃はこの時と同じように、僕がパートナーの家に遊びに行っていて、それが1年以上は続いたのだから、僕としてはどこか懐かしい感覚だった。
4月が終わると、GWに差し掛かった。
会社員に戻ってから初めての連休で、きっとパートナーと過ごす時間も長くなるだろうなぁ、とぼんやりと思っていた。
いつものように、平日の夜に電話して、「GWは何しよっか?」と聞くと、パートナーは「会う日は2日間だけにしたい」と、付き合い始めてから同棲していた時にも言わなかったような、言葉が返ってきた。
「仕事に集中したい」とか「自分の時間が欲しい」と言って、同棲解消したのに、僕は今までの関係が変わってしまっていることに目をつむりたくて、毎週のように彼女の元へ足を運んでしまっていたことに、そこでようやく気がついた。
それでも、長い休みの中で2日間は一緒に過ごせるのだと思って、それまで通りに彼女の元へ遊びに行った。
一緒に住んでいた時のような時間を過ごした。
本当に楽しかった。
本当に楽しくて、2日間の終わりになって、その時間が惜しくなってしまい、「明日の朝帰るから、今日の夜だけ居させてくれない?」と当初の約束を破ろうとした。
すると彼女は黙り込んでしまった。
それまで、ずっとふざけ合っていたのに、急に冷たい空気が流れた。
その時の僕はどうかしていた。
黙り込んで何も話さない彼女に対して、「どうせ一緒にいるのが嫌なんだろ」と心の中で思ってしまい、カッとなって、「んじゃ帰るわ」とだけ言って、出て行ってしまった。
それが、最後に彼女と顔を合わせた別れになった。
5月も何度かは連絡していたが、GWの件があって、今までのようには連絡できなかったし、「遊びに行って良い?」と聞いても、「週末はやりたいことがあって」の一点張りだった。
そして、6月のはじめ、2週間以上も電話できていなかったから、会えないならせめて電話で話したいと思って連絡した。
折り返しが掛かって来て、電話に出ると、明らかにいつもとは様子が違う声色だった。
「この1ヶ月、会わないで色々考えたんだけど、別れたい」
そう言われたとき、不思議と冷静な自分がいた。
彼女は、そもそも同棲解消する時も、もっと言えばその前から結婚を意識する僕に、疲れを感じることが多かったと泣きながら話した。
特に同棲している時は、強制的に自分の結婚について考えなければならないことが、辛かったようである。
元から仕事を続けたいと言っていた彼女のことだから、結婚はどこか足枷のように感じていたのかもしれない。
僕は同棲していた時に、一度彼女にプロポーズをしていたが、それも「今はちょっと待って」と断られていた。
それでも、本気で結婚を考える僕がそばにいては、自分が住んでいる家でもゆっくりする事はできなかったのだろう。
本当に申し訳なかったと、思う度に心が傷む。
最後の電話の中で、彼女に言われて深く残った言葉がある。
「この1ヶ月でなつののことを考えない時間が、とても心地良かった」
どれだけ僕が彼女を苦しめてしまったのかを、混じりっ気なく伝えた言葉だったのだと思う。
だから、恐らくもうずいぶん前から、彼女の中に僕は居なかったのだ。
居たとしても、決して心地良い存在ではなかったのだ。
それでも、最後まで彼女に泣かれてしまって居ては、一生の後悔になるとわかっていたから、せめて最後は良い思い出にしたいと彼女に伝えて、楽しかった思い出を話した。
そして、最後に「じゃあね、元気でね」と伝えると、「なつのもね」と返してくれて、電話を切った。
約3年間の同棲期間を含む、4年半の恋が終わった。
電話している時は、出なかった涙が、シンと静まり返った部屋で溢れ出した。
きっと僕だけが、彼女の存在に、大きく依存していたのだろう。
勝手にひとりで支え合っているような気持ちになって、そこに喜んで、彼女の気持ちも考えないで、図々しく将来まで思案までして、本当に大馬鹿者だ。
彼女はいつも楽しそう見えたけれど、どこかで悩んでいたのだろう。
それを打ち明けられなかった苦しみに、僕は気が付けなかった。
よく「別れる時は、どちらかが100%悪いということは無い」みたいに言うけど、僕はそう思えなかった。
今もまだ続くこの胸の痛みが、やはり自分が悪かったのだと、そう言っているようにしか思えないのだ。
本当にごめんね。
辛うじて仕事には行っているけれど、ため息が止まらない生活を送り、休日でひとりになると死んでしまいたくなるので、週末はひとりで過ごさないようにした。
しかし、今まで食欲もないのに気を張っていたせいか、今日になって一気に体調が悪くなり、会社を休むことになった。
強制的にひとりで過ごす空間は、とにかく辛いことばかりだ。
病院にかかり、「胃炎になっています」と言われたが、なんだかどうでも良かった。
結局のところ、気持ちの整理がつき始めているだけで、まだまだ傷が癒えるような段階でないのだ。
時間が薬になるには、もうしばらくかかるだろう。
長々と惨めに男の失恋を書いてしまったけれど、もし今同じような気持ちでいる方に、ひとつだけ言えることがある。
それは、どれだけ惨めでも生きているということだ。
僕にとっては、これほどの失恋は今までに無く、死んでしまいたいと考えることもあった。
今は、生活することに精一杯だけれど、それでも生きようと思える。
これから先、きっとどこかで「何の為に仕事しているんだろう」とか、「何が面白くて生きているのだろう」と考えてしまうこともあるだろうけど、疲れたら無理せず休みながら、それでも強かに生きることだけは諦めないようにしようと思う。
反省はするけど、自分を責めずに、今の自分を認めてあげながら、ちょっとずつ前に進む。
これを繰り返してみようと思う。
良かったら一緒に試してみませんか。