【エッセイ】生活圏が狭くなっても生きていけるもんだ


こんにちは!

なつのです!

本日はエッセイです!

生活圏が狭くても…

車を手放して初の休日を迎えた。

先週から「田舎で車を手放したらどうなるか」という企画というか実験を開始している。

通勤は徒歩で完結するし、生活に必要なものを週1で買い物に行く時に車を使っていたぐらいなので、短期間であれば車がない生活もやれないことはないと思えたことで今回の企画を始めている。

流石にまだまだ日が浅くひとつの記事にまとめるような出来事はないので、それは後の楽しみとしていただきたいが初の休日を迎えてどうだったのかだけは書きたいなと思った。

初の車なしの休日はまず外出すること自体がほとんどなかった。

依頼された個人の仕事をするのと、最近の休日出勤であまりできていなかったゲームの続きをゆっくりとやりたいと思っていたからである。

外出したのも散歩の1時間半ほどだけで、最初の休日のほとんどは家で過ごしていた。

なんだか久々にゆっくりとした休日だったように思う。

ここの所は仕事や車を手放すことがあって休日にも何かしら動いていることが多かったのだ。

だから一概に「車を手放したから…」ということではないけれど、なんとなくせわしなさというかせかせかしているような状態がなくなったように感じる。

きっとそこには潔く諦めてやれる範囲でやるしかないと思えるようになったからなのだと感じる。

車を手放したことでいつでもどこでも行ける範囲は確実に限られる。

もちろん不便さはあるが、一方で実は良いところもあってそれがいい意味での諦めである。

今までのように車はないのだから、まずドライブという選択肢がなくなるし、買い物に行くにも自転車で行ける範囲だけ。

このように諦められることによって、近場のことを調べ出すようになる。

僕の場合は事前に近場のことを調べて「まぁ半年から1年ぐらいなら大丈夫そう」と思えたから車を手放したのだが、いきなり車がないような状態におちいっても本当の田舎のさらに山奥にでも住んでいない限りは案外なんとかなるのではないかと思えるのだ。

もちろん個人のライフスタイルや車の便利さ、楽しみを度外視した考えなのは重々承知だけれど、最低限生きていくというラインはどこに住んでいても大部分は満たしてくれそうだという結果は変わらなさそうである。

緊急事態宣言も解除となり、段々と外へ脚が向くようになれば車を手放すタイミングを嘆く可能性もあるけれど、それはそれで良い経験だ。

今は家と近くを存分に楽しもうと思う。

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