【エッセイ】寂しさにふと襲われる瞬間はある

こんにちは!

なつのです!

何か特別な感情にふと襲われるということはありますか?

僕はそれを傷のようなものだと思っています。

寂しさにふと襲われる瞬間はある

久しぶりに土日にどちらも予定がなくのんびりと過ごした。

コロナが一旦収束気味になったことでこれまでの熱を発散するかのように、最近の週末は出かけることも多かった。

婚活で人に会うこともそうだし、友人と過ごすことも何度かあった。

緊急事態宣言が解除されてからは約2ヶ月のことだけれど、新しいパートナーが来てくれたことでなんというかイベントが多かった。

もう少しだけさかのぼってコロナ禍でさえもメッセージベースの婚活や、オンラインでの活動があり忙しいとは違うが、土日を本当にひとりでゆっくりと過ごすのはちょっと久しぶりの感覚だった。

最近は仕事も忙しくなっていたし、休みとあれば婚活と自分の仕事に集中していたから、ちょっとだけ余裕が生まれたのかななんて思っていたのだが、ちょっと思わぬ感覚に襲われた。

結論から言うと、不意に寂しさに襲われひとりが嫌になる瞬間があったのである。

僕はこれまでにずっと恵まれた環境に身を置くことが多かったのだと思う。

大学生になってひとり暮らしを始めた時もすぐ近くに友人がいたし、大学生後半では弟とルームシェアして過ごしていた。

社会人になってからも社員寮に入ったことで、気軽にご飯に誘いあえる仲間はたくさんいたし、同棲の話が持ち上がって寮を出ることになり、そこから数年はひとりで生活していなかった。

それなりに生活はできるだけの家事とか最低限の自立はできていると思えるので、そこか面倒だから誰かと過ごしたいというわけではない。

単純にひとりでいることに寂しさを覚えてしまう瞬間があるのだ。

ずっとべったりと一緒に過ごしたいかと言われれば、僕もそこまでは思わないし、きっとそんなことをされれば誰だって嫌がるだろう。

実際問題、パートナーがいようが友人がいようが会社で仕事している時と、家で自分の仕事をしている時はひとりでいることが最適解かなと思っている。

わがままなのかもしれない。

ただ感情は感情だ。

昨日、夕飯を食べている時にふと「ひとりでご飯食べるのはそっけないなぁ」と思ってしまったのだ。

これまでも誰かと生活をする時には、日中は好きに過ごしても夕飯は一緒に食べるということが多かった。

一緒にご飯を食べて、何気ない会話をする。

それが日常になっていたのだ。

ここ最近の生活はそういう意味でひとり暮らしを忘れてしまうようなものになっていたのだ。

やはり一度味わった心地よさはそう簡単に忘れられないものなのだ。

だからこそ、それを手に入れたいと思うのだろうけど、そこに到達するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

古傷が痛むみたいな感覚がもう少し続くのかもしれない。

それでも決して後ろ向きになるような状態でないこともわかっているつもりだ。

新しいパートナーが選んでくれたお陰で生活がさらに好転したと感じられる。

不意に寂しさに襲われようとも、以前とは少しだけ違う状況になっていることだけは間違いない。

傷は傷というだけだ。

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