【エッセイ】連休でも自分の仕事をして安定感を得る


こんにちは!

なつのです!

本日は自分の仕事に関するエッセイです!

連休には自分の仕事を

連休に入っている。

しかし、連休というのは会社に属している自分の休日なのであって、僕自身は毎日パソコンに向かっているから、全くの休日というのは少ない。

もうかれこれ、こんな生活を続けて4年ほどになる。

noteを含めてブログの更新を続け始めたのは、もう少し短いが、それでももう2年近くは毎日更新しているかと思うと、なかなかに良い習慣になってくれているように感じる。

新しく勤め出した会社は割とカレンダー通りの休みになるので、長期に続けて休みになるというわけではない。

今回のお盆のお休みも、前半3日・後半4日のように分かれるようになっている。

人によっては間の3日間もお休みなるという人もいるから、うちの会社内では「なんでそうしないのかなぁ」とか「いいなぁ」という声を聞いている。

まぁしかし、うちの会社も休み自体はちゃんと多い方で、ほとんどの部門が遅くまで残業しているわけでもないのだから、それほどこだわらなくともいいのではと、個人的には思う。

たぶん、僕が長期の休暇でなくともちょこちょこ休暇があればそれでいいやと思うのは、毎日個人の仕事していることの副作用なのかもしれないと思っている。

確かに、長期休暇があれば旅行に行ったり、普段できないような趣味に没頭できる時間を設けることもできる。

僕もこんなご時世でなければ、車を走らせて旅行にもいきたいし、帰省もしたい。

ただ、コロナだろうとなんだろうと個人の仕事はそれはそれできちんと続けるようにしているのは、変わらない。

長期休暇ももちろん例外ではない。

もうそれだけ生活の一部になっているのだ。

「大変じゃないの?」と友人から言われることもあるけれど、僕は完全に個人で働いた時期を経験できたおかげで、自分の仕事もすることが当たり前のことになった。

だから、あの期間には大変なことももちろんあったけれど、過去の大変さに比べれば、複業体制はそれほど困難なものではない。

書きたいことをかける場所もあるし、それによって誰かと繋がれる感覚があることは、むしろ僕にとっては救いの場でもあるのだ。

個人の仕事以外がうまくいかない時に、個人の仕事が救ってくれることはあるし、その逆だってもちろんある。

どれに携わっていても自分は自分なのだが、自分を支える柱は1本では不十分で、2本3本とあった方が良い。

そのようにしているからこそ、心にも安心感が芽生えるのだ。

すると不思議なことに、意識が分散するのでなく、より良い形でどの仕事にも携われるようになるのだ。

せっかくの連休なのに、外に出られないと嘆くなら、新しく個人の仕事を始めてみるのはいかがだろうか?

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