【エッセイ】思い出を切り離すという選択

こんにちは!

なつのです!

今日は思い出について書きます。

思い出を切り離すという選択

少しだけ過去を切り離そうと思う。

これは決して悲しい話ではない。

僕はここ1年、波に飲まれ続けてきたように思う。

決して悪いことばかりではなかったけれど、差し引きでは勝ち越せるようなものではなかった。

苦しい思いをし続けて抜け出せなかった期間も短くなかった。

僕は昨年の夏を忘れることはないだろう。

そう思った時に、ふと思い出を溜め込むことばかりが正解ではなさそうだと思えた。

何かを忘れてしまうのはどう考えても悲しいことだけれど、思い出して苦しくなったり、前に進めなかったりするのならば、どこかで思い出かこれからかについて天秤にかけるようなことをしなくてはいけない。

思い出はものではないからいくらでも持てば良いようにも思えるが、多分そうでもないのだ。

思い出で身重になることだってあるのだと経験したのが、まさにこの1年であるからだ。

だからと言って思い出の全てを捨てることは実際不可能だろうし、それは過去との決別であり話が大き過ぎる。

あくまでも身重になるぐらいなら、適切に思い出を切り離そうということである。

一番すぐに思いつく例は、失恋した後に写真を処分することだろうが、ものは手放せても記憶は結構厄介で、少しだけ時間がかかると思っていた方が良い。

だからすぐにはできなくとも、徐々に記憶から薄れていくのをじっと待って、頃合いになった時に切り離すようにするのだ。

切り離すことなく過ごすことだって可能なので、それを選択するのは自分自身だ。

ここで大事なのは、頃合いになったら切り離せるという選択肢が誰にでもあるということだ。

思い出を捨てるなんて普通の人なら止める。

だけど、止めている当の本人だって切り離した過去があったり、これから人生を過ごす中で切り離したい思い出に遭遇したりするものだ。

だから止められても、自己責任で思い出を切り離しても良いのである。

僕もあなたも。

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