【エッセイ】境目の夏

夏が好きだ。

たぶん研究室時代に、楽しいイベントがたくさんあって、そこから夏が好きになっていった。

それまでの夏と言えば、実家の農家の手伝いか、短期バイトの記憶しかなく、それほど好きになれなかった。

特に高校生の時には、みんなが夏祭りだなんだとウキウキしている側で、良い歳の男子が家の手伝いだと言っていれば、荒まない方がおかしい。

手伝いをしながら、外で花火の音が聞こえた時には、とても虚しくなったことは忘れられない。

それから大学に進学したものの、奨学金を借りることに反対されお金に困った僕は夏休みの間、短期バイトをすることになった。

結局のところ、仕事する場所が実家からバイト先に変わっただけだった。

だから、この頃までは「夏なんて早く終わってしまえば良いのに」と思っていた。

つまり、夏が嫌いだった。

しかし、研究室に入った後は研究の関係もあり短期バイトができなかったから、夏の過ごし方が大きく変わった。

仕事がない夏休みを過ごすようになったのだ。

研究室に入ってからは、友人も多くなり、自然と遊びに行く機会も多くなっていった。

海に行ったり、バーベキューをしたり、夏祭りにも行った。

その時もフラれてしまったけれど、大学4年になってから高校生の頃から好きだった女の子と花火大会にも行った。

それでも、楽しかったり、甘酸っぱかったりする思い出が多いから、勝ち越しで夏が好きなのだ。

今でも、そうだ。

大学を卒業してからもう何年も経つけれど、それからはずっと夏が好きだったから、毎年夏になれば大学の友人と一緒に海に行ったり、バーベキューをしたりして懐かしんだけど、やはり段々と家庭を持つ者も多くなり反比例するように、夏に会う機会も減って来ていて、昨年はコロナがそこにとどめを刺したようだった。

今年の夏は、きっと昨年とはまた違う。

僕にとっては、間違いなく。

段々と勝ち越していた夏が、薄れつつあるのだと知った。

もちろん、いつまでも大学生の頃のままで居られないし、さすがに年甲斐もないことだ。

それでも、好きであるものを、もしかしたら嫌いになってしまうかもしれないかと思うと、こんなに寂しい瞬間も無い。

子供の頃から観ていた夏が舞台になる映画が、テレビや動画で流れるようになって、昔と変わりなくワクワクしながらそれらを観る。

誰かとそれを観ていた時を思い出すことは、今は辛い。

今は、到底懐かしいなどとは思えない。

そんな風にして、夏も辛くなり、やがて嫌いになってしまうのかもしれない。

できれば経験したくない辛さだ。

しんみりする夏なんて嫌だ。