【エッセイ】胸の痛みと生きる感覚

胸もお腹も痛い。

昨日から、会社を休み今日で2日目だ。

新しく勤め出した矢先に、ちょっとやってしまった感はある。

ただ、ここの所、全く健康的で無かったのは目に見えていた。

まず、ご飯が喉を通らないのだ。

そもそも食欲が湧かないので、冷蔵庫が空になろうが、スーパーに行こうともしなかった。

そんなことを考えたことさえ、6月になって初めてだったのかもしれない。

なんだか記憶が飛んでいる感覚だ。

先週は、ボケボケっとしながらも、「ひとりでいては心が終わる」と身体が危機を察したのか、金曜の仕事終わりにすぐ退社して、実家に車を走らせた。

実家までは片道4時間かかるけれど、土日の孤独に打ちひしがれれば、心がもたない。

実家に帰り、情けないけれど家族にも話を聞いてもらった。

「まぁ、色々あるさ」と、親身にならずに聞いてくれたことは、この歳の男性としては、本当にありがたかった。

実家では、出されるご飯を少しだけは食べて、それなりに眠れた。

猫とも戯れたし、犬とは思い切り走った。

何よりも、家族が話を聞いてくれたことが、心の救いになった。

ただ、ずっと実家にいる訳にもいかないので、日曜日には戻ったけれど、ひとりの空間に戻れば、また辛い時間が来た。

すると、やはり食事をする気にはならずに、せいぜい死なないように何かを飲むぐらいのものだった。

気がついた時には、日曜の昼から、木曜の昼までほとんど何も食べていなかった。

体調を崩しても無理もなかった。

これほどまでに、長期間に渡って食欲が湧かないということは経験したことが無かった。

病院で先生に注意されたのも初めてだった。

「ちゃんと食べないと、続きませんよ」

本当にその通りだ。

気がついた時にはフラフラで、「よくもこんな状態で仕事していたな」と思った。

昨日、病院の帰りに、いつものスーパーに寄って、食べられそうなものを買ってから、家に戻った。

久々に冷蔵庫の中に物が入った。

その日の夜、久しぶりにひとりのご飯を食べたけれど、涙が出た。

なんだか情緒不安定になってしまっているのかもしれないけれど、それほどにご飯を食べることがそのまま生きていることにつながっているのだと感じたのだ。

僕は失恋のショックの余り、本当に生きることを放棄しようとしていたのだった。

大袈裟でも、そう感じたのは、事実だった。

たかが失恋じゃないか、と他人事には思えた失恋も、いざ自分のこととなると、これほどに辛く苦しく、死まで考えることになるとは思わなかった。

自暴自棄になってしまったけれど、大切なことを学んだ。

死ぬなんて絶対に選択したくない。

辛くとも、ちゃんと食べて、生きていれば、今までよりもきっと素敵な時を迎えられるはずだ。

「人生はあなたが思うほど悪くない 早く元気出してあの笑顔を見せて」とラジオから流れてきた懐かしい曲に、胸の辺りがポカポカするのを感じた。