【エッセイ】満たされない心と祈りのような言葉

何をしていても満たされない状態が続いている。

こんなことを明けらかに書くのは、もうそれだけで恥ずべきことなのかもしれない。

しかし、この心の中にあるモヤモヤをできるだけ正確に表現するのなら、「満たされない」となってしまう。

休養期間になってから、車中泊をしたり、実家に戻ってみたり、友人と長い時間を過ごしてみたりした。

それらをやっているときには、心が解放されている感覚がある。

しかし、いずれは日常に戻ることになる。

日常に戻ると、どうしても心に余裕がなくなってしまう時が訪れるのだ。

また旅に出ることも考えたけれど、時期も決して良いとは言えない。

首都圏に緊急事態宣言が発令されており、先月のように地方に行くことも憚られるのだ。

最近では、筋トレと近くをジョギングすることばかりで、それ以外は狭い部屋に籠るだけの生活になっている。

友人や家族と電話することもあるけれど、満たされない感覚は否めない。

やはり、ひとりで過ごす時間ばかりだと、それが苦痛になってしまっているのだ。

ひとりで過ごす時間も、車の運転などのように何かやることがあれば、それなりに過ごせるようなので、たぶん原因はそこにあるのだ。

「自分を満たさなければ、他人を満たすことはできない」

そう聞くけれど、どちらかと言えば何かをやってあげたくなる自分の性格では、自分を置いてけぼりにしてしまうことは、自分にとってはほとんど当たり前のことだったのだ。

誰かを満たすことで、自分が満たされていたのだ。

いや、たぶん過去形ではなく、今も誰かを満たすことで、自分を満たしているのだ。

しかし、それでも自分を先に満たさなければ、同じ過ちを繰り返すだけになるのだろうと、どこか臆病になっている自分がいる。

残念なことに、自分の機嫌を自分でとることが難しいのだと、このような状態になって初めて気が付いたのだ。

だから、足掻くように何かをするけれど、何をしても満たされないような感覚に陥ってしまっているのだろう。

こればかりは、足掻き続けるしか方法がないのだろうけど、どうしようもなく辛い。

こんな時間が、自分の満たし方を少しずつでも教えてくれているのかもしれない。

もう、祈りに近いような思いだが、これを書き綴る。