【エッセイ】見た目でものを選ぶのが嫌い

こんにちは!

なつのです!

今日は少しだけ「嫌い」について書いていきます。

あなたはもを選ぶ時に何が基準になりますか?

見た目でものを選ぶのが嫌い

カッコいいというだけで何かを選ぶのが嫌いである。

これは見た目を全く重視しないということでは決してない。

見た目も何かを選ぶひとつの基準にはなるけれど、あくまでもスペックのひとつという考えなのだ。

僕が嫌いなのは見た目ばかりを重視して選択することそのものである。

見た目ばかりを重視してしかものを選ばない人ももちろんいるだろうし、その人達を否定する気もない。

ただ、僕がどうしてもその選び方を好きになれないのである。

ただそれだけの話なのだが、最近この考えに引っかかってしまうことが多いのだ。

ひとつは車を待っているからなのかもしれない。

ジムニーを待ちも3ヶ月が経過しているが、依然として納期は長く、既に首を長々として待ってしまっている。

ほとんど毎日のようにYouTubeを見てしまうのだが、そのくらい待ち望んでいる車なのだ。

タフな車だから大切に乗って人生の1台として愛することを決めているぐらいだ。

ちょっと重い。

そんな重い思いの僕だからなのか、YouTubeにあるジムニーの動画の中にどうしても嫌なものがある。

それは「見た目重視で買って遅くてダメ」とか「カッコいいけど乗っててうるさいからダメ」というものである。

ちゃんとレビューしている証拠なのだろうけど、試乗しなかったのかなとか、元々そういう情報たくさん出回っていたでしょと思ってしまう。

そもそも全部がそうではないだろうけど、「見た目ばかりで選んでしまって後々愛せなかった」というのはあまりにも品がないように思うのだ。

もちろんこれは車に限った話ではない。

「美人は三日で飽きる」なんてよく聞くけれど、見た目ばかり重視する人は、ものばかりでなく人にもそんな態度をとりかねないなと疑ってしまう。

見た目はあくまでもスペックのひとつというだけで、ものには別のスペックがたくさんある。

むしろ見た目はそれほど重要でなく機能が優れていた方が価値があるということだって少なくない。

ではなぜ見た目ばかりを気にするのだろうか。

それは人の目からどう見えるかばかりを気にしているからである。

他人の評価ばかりを気にしてしまっているとも言い換えられるかもしれない。

見た目を重視する人の大概は自分がどう感じるとか機能的かどうかとかよりも先に他人の視線が気になっている。

「とにかくブランド物を選ばないと!」とか「金額の高そうなもので身の回りを固めないと!」と思っている人は、結局人の目とか他人の評価が怖いのだ。

だから無理をしてでもカッコをつけて、自分を大きく見せようとする。

見栄を張って得することなどほとんどないにも関わらずである。

ものを選ぶというただそれだけの行為だけれど、そこに自分の価値観は大きく反映されると知っておくといいかもしれない。

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