
こんにちは!
なつのです!
本日は見栄に関するコラムです!
大嫌いな見栄張り生活
改めて自分の生活を見直している。
何か不都合があったというわけではないが、やはり昨今は家で過ごす時間が多くなりひとりで生活していることが多くなったことで自然と見直すようになったのだ。
個人の仕事をしたり、節約したり、運動する習慣はそのままに少し良くしたほうが良いことを見直すことにした。
特に家事に関することである。
僕は家電に任せられる家事は全て任せるようにしている。
洗濯乾燥、掃除、食器洗いこれらは家電でそのほとんどを完了できる。
僕と同じように生活家電を見直して生活の満足度を上げている人も少なくないだろう。
しかし、これらは今回見直したことではない。
というのもこの春から僕はひとり暮らしに戻っており、そのタイミングで引っ越すことになったのでこの辺の生活家電を取り入れたばかりで今のところ何も不満なく使えているからだ。
では家事の何を見直したのだろうか。
それはもっとシンプルなことでどう家事に取り組めば満足度の高い生活にできるかということである。
更なる高みを目指すみたいなことは自分の性に合わないので勘弁してほしいところだけれど、否応なしに続く生活を工夫でなんとかより良くしたいというのは悪い事ではないだろう。
ここで注意したいのが、これはとにかくお金をかけて生活レベルを上げるのとは全く違うということだ。
とにかくお金をかけて生活レベルを上げて満足することは非常に簡単だ。
でも簡単だからこそ金持ちの道楽と同じように感じてしまって、なんだか好きになれない。
もちろん洗濯機や食洗機、ロボット掃除機も無料で使えるものではないから全てにおいて当てはまらないわけではないのだけれど、僕が言いたいのは必要以上の贅沢と本当に生活をより良くするものは似ているけれど意味合いが全く異なるということだ。
その証拠に僕は必要以上に広い部屋に住むのは無駄だとさえ考えている。
毎月お金が発生する重要な要件にもかかわらず、車のことはとやかくいう人も広い部屋に住むことはステータス的に取り入れることも少なくないように感じる。
生活レベルも全く同じことが言える。
要は人の目ばかりを気にして見栄を張るためだけに無駄に生活レベルを上げなければいけないと感じているのはさすがにどうかということだ。
そして自分がどのように家事に取り組むのかはその尺度をうまく測れると感じている。
見栄のための家事に時間もお金も取られてしまえば、格好良さだけが守られて自分の自由さが危うくなる。
僕はこれを本末転倒だと感じるが、あなたはどうだろうか。
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