【ショートエッセイ】キツい時こそ待つ

「たぶん、今が一番キツい時だ」

自分自身にそう言い聞かせる。

休養期間に入って1ヶ月が経過してところで訪れた辛さが、多分ピークを迎えている。

心が傷付いたことをきっかけに、生活にも関わる様々なことがガタガタと崩れ去り、その環境に慣れるために休養している。

確かに体を休めることはできているように感じる。

規則正しく寝起きできているし、食欲も段々戻ってきている。

それは間違いないのだが、まだどうしても心が追いついていないように感じている。

普段なら充実感を覚えるようなものも、何か虚無的な不足感があるようになってしまっている。

それでも、何かをしなければ体から根っこが出てしまうぐらい行動力が落ちているのだ。

休養期間に入ってからは、意識的にでも何かをすることで、心が潰れないようにしてきた。

正直なところ、少し無理をしていた時もある。

無理矢理にでも、何かに取り組んでいないと、どうにかなってしまいそうだったからである。

今、どうにかなってしないのは、きっと無理にでもそして無意味でも、何かに取り組んできたからなのだろう。

ただ、車中泊にせよ、なんにせよ、そこに心が追いついているとは到底思えない。

感動が少なくなってしまっているのだ。

このように感情が動かないような状態だから休養しているのだけれど、この期間がキツいのだと思い知った。

メンタルクリニックの先生が言うには、「段々と良くなっている証拠」なのだそうだが、結局はまだ時間が掛かると言うことなのだろう。

できることは少ないのだけれど、気になっていた映画やアニメ、ドラマをひたすらみたり、本を読み漁ったりしている。

それでも感情が動きにくくなっているのは、心にぽっかりと空いた穴が、まだ塞がらないからなのだ。

多分、様々な作品に触れたり、散歩などしているうちに、少しずつ心の穴が塞がっていき、感情がきちんと動くようになってくれるはずだ。

キツいけれど、今はじっとして待とう。