【エッセイ】車は利便性より楽しさが勝る

こんにちは!

なつのです!

車を手放して3ヶ月が経過し、初めてカーシェアを利用しました。

その時に感じたことを書いていきます。

車は利便性より楽しさが勝る

車を手放してもう3ヶ月が経過していた。

まだまだ納車日は決まらずうずうずして過ごしているが、それでも契約して4ヶ月経っているので最初ディーラーから伝えられた納期目安までの半分以上の月日が流れた事になる。

車を手放した生活に慣れてきたのは言うまでもない。

一種の諦めのように、自転車や歩きで買い物に行くことがひとつの習慣になりつつある。

しかし、田舎暮らしとあってさすがに車が必要な時はどうしてもあるだろうと考え、車を手放したタイミングで保険としてカーシェアを使えるようにしていた。

最近は利用者も多く流行っているせいか、今住んでいるような田舎であっても案外近くで借りられるようになっていた。

車を借りるまでに最寄りの駅付近まで移動しなければならないのはやはり面倒だが、それでも車のない状況ではできないことができるのは強い。

車は持たない、でも車は使える、みたいな状態である。

これなら所有することなく、便利で旨味のある時にだけ利用することができるのだ。

車に大して興味のない人であれば、カーシェアで十分という人もたくさんいるのも頷ける。

ただ、僕にとってはやはり一時しのぎ感が強い。

車がないと全く暮らせないというわけではないが、行動範囲が非常に狭く、フットワークの軽さが失われているのを強く感じてしまうのだ。

選択肢が限られるとも言える。

やりたいこと、行きたいところがあってもそれを瞬時に判断できないのである。

問題は利便性だけにとどまらない。

僕にとっては車は大きな趣味のひとつであり、楽しみなのだ。

最初は半年ほどの我慢というところで、良い機会だと車を手放してみたものの、利便性の部分は我慢できても楽しさの方は我慢するのが辛い。

今回の経験で僕が車を所有する理由が明確になったと感じる。

車を運転する事そのものが楽しいから所有したいのだ。

カーシェアで事足りる場面も多いが、カーシェアのほとんどの車はオートマでマニュアル好きとしては楽しさは味わえない。

利便性はそれなりにあっても、楽しみがないのである。

車が道具にだけなってしまっている方には、ちょっと理解し難い感覚かもしれない。

やはり納車までの時間はまだまだじっくりと待つ時間になりそうである。

ただ、ここで年末に帰省できるようになったからそこに楽しみがありそうだ。

実家に帰れば今の時代では珍しいほどの数のマニュアル車を所有している。

特に父が乗っている旧式ジムニーは、かつて僕も乗っていたものでありこのジムニーのおかげで長い納車待ちを決意したぐらいだ。

実家に帰ったらすぐに父の車を借りてドライブがしたい。

もう一踏ん張り仕事を頑張って、のびのびとドライブできるような心持ちにしておこう。

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