
こんにちは!
なつのです!
何気ない1日とならなかった休日を書き残したいと思い、形にしました。
心が動かなかったり動いたり
懐かしい街を歩くことになった。
懐かしいとは言ってもほんの1年前に住んでいたところを訪れている。
しかも理由も大したことがない。
僕は約半年間、田舎で車のない生活を実験的に行なってきていたのだが、年末年始に突然父が車を貸してくれると言ったのだ。
自分の通勤は農閑期の軽トラックで十分だと判断したようで、新しいジムニーが納車されるまでの間であれば使っても良いとのことだった。
これは非常にありがたいことだった。
貸してもらえた車は、僕も以前乗っていた旧式ジムニー。
元々は兄の車であり、そこから弟の手に渡り、その後僕の元に訪れ、父に渡ったうちの家族とは繋がりの深い車である。
そんな旧ジムニーだったが、一つだけ厄介な点がある。
それは車検である。
車弄りが好きな弟が所有していた時に、旧ジムニーは2インチのリフトアップが施された。
大きめのホイールを履けばカッコいいし、軽のナローなボディだけでも運転しやすいのに、視点が高いことで非常に視界が良くさらに運転しやすい。
リフトアップされたジムニー自体は何も問題ないのだけれど、どうしても車検に時期に大変な思いをする事になる。
普通の車であれば車検の日程を決めて、車を任せることがほとんどだろう。
しかし、リフトアップしていることで過去に車検を問題なく通過していても、「ウチでは受けられないんです」と言われることがよくあるのだ。
実は2年前にジムニーを所有していた時にもこれを経験していた。
車検をやってくれるところを探し回って、請け負ってもらっていたのだ。
そしてジムニーを貸してもらった今年、なんと2月に車検が切れると言うではないか。
なんとなく親がこの時期に車を貸してくれると言った理由がわかった気がした。
この段階で僕が引っ越しをしていなければ何も問題は無かったが、僕はちょうど1年前に引っ越しをしてしまっていた。
2年前に車検を受けられる場所を探した徒労を知っていたので、僕は変に時間を使うぐらいなら引っ越す前の場所で車検を頼もうと思ったのである。
電話をかけるとすんなりと車検に応じてくれた。
ありがたいことだ。
ただし、繁忙期というのは本当で、代車は既に予約が入ってしまっているらしく、ほぼ丸1日を1年前に住んでいた街で過ごすことになった。
この日程に合わせて個人の仕事を進めたが、さすがにコロナ禍でずっと同じ店に居座る訳にもいかず、街を歩く時間もあった。
なんとなく不思議な気持ちだった。
大学時代に住んでいた街を訪れるのとも、新卒社会人になって初めて住み始めた街を訪れるのとも全く違う感覚があった。
懐かしいというだけで、あまり感動が無かったのだ。
その街を離れたのはそれなりの理由だったから、もっとセンチメンタルになるかとばかり思っていたが、ほとんど全くと言っていいほど感情が動かなかったのだ。
この事実をポジティブに考えるなら、思い出に縛られなくなったと言えるだろうが、どうもその捉え方ではモヤモヤする自分がいる。
多分、今のこの状態は健全というより、不全の方が近い。
もっと単純に言えば、鈍くなっているのだ。
適切に感情が動かなくなってしまっているように感じる。
だからしっくりも来なければ、モヤモヤも残る。
ずっと悩んでいるのも違うが、こうやって不全に陥るのもそれはそれで違う。
まぁ、厄介なものである。
街を歩いても何も感じない。
ただ懐かしいだけという感情に愕然としながら過ごすが、このような1日はなんとも長い。
時間があっても特別行きたい所もないので家、1年前に何度も通っていた本屋に出向くしか考えが及ばない。
生活スタイルは変わっていないのに、心のありようは大きく変わってしまったようだった。
なんとなくしょんぼりしながらも、本屋で気になっていた本をパラパラとめくる。
その本の中で僕の大好きなTBSラジオのパーソナリティーが武田砂鉄さんとの対談形式で彼らの為人と歴史を言葉にしていた。
街に感情が動かなかった分の反動が来たように、ある一文に心が大きく反応した。
それはTBSラジオのお昼の顔である赤江珠緒さんの言葉だった。
「人生は悩んでいる時間の方が長いと思います」
僕は赤江珠緒さんの「たまむすび」が好きでTBSラジオリスナーになった経緯があり、今でもタイムフリーで良く聴いている。
赤江さんはまさに天真爛漫とか活発で明るいとかそういう言葉が本当によく似合う人だ。
きっと、赤江さんを知っている人は頷いてくれるはずだ。
そんな赤江さんには悩みがないとは言わないまでも、どこか悩みなどとは異なる場所にいるような存在だとばかり思っていた。
だからこそ「人生は悩んでいる時間の方が長い」という言葉が深く刺さった。
あんなにも明るくて元気な赤江さんであっても悩んでいる時間の方が長いのかという意外さと、だったら自分が悩んでばかりいることも当然かという納得があった。
なんとなく赤江さんに「悩んでもいいんじゃない?」と言われたようで心が軽くなるのを感じた。
この経験は赤江さんがこの言葉を表現してくれたことに大きな意味がある。
つまり、「誰が言ったか」で言葉の重みが全く変わるものだった。
昨日ばかりは五感に訴える街の景色・音・匂いよりも、紙に書かれたほんの一文の方が心を動かした。
車検待ちという変わった小旅行だったが、結果的に心の方が動く旅となった。
何気なくそして悩ましい人生のほんの一幕なのだけれど、これをどこかで読み返す時が楽しみである。
思わず、いい思い出ができた。
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