【エッセイ】記憶の厄介さも時間に任せる

こんばんは!

なつのです!

今日はまだ日々に残る記憶を題材にしたエッセイです。

ぜひ最後までご覧ください

随所に残る「記憶」

何気ない所にも記憶は宿る。

でも、記憶が残っている期間なんて案外短い。

先週から、職場に復帰し、まだ仕事は本調子とは程遠いけれど、なんとかなっている。

ひとりで過ごす時間が長かった休養期間は、なんだかんだで考え事をしてしまう時間が長く、そこにまんまと苦しんだ。

できないものはどうしようもなかったけれど、案外手先を動かしている方が、考え事をする時間を取れなくなるので良いかもしれない。

ただ、職場に復帰したけれど、完全に過去を振り切れたわけではないのもまた事実なのだ。

職場では1時間の昼休みがある。

昼食を食べて、デスクに戻って残りの時間を過ごす。

一般的な昼休憩だと思う。

僕はなぜか、復帰初日と今日の2回中2回で、その時間が辛かった。

理由はなんとなくわかっている。

僕は、昼食後の時間に週末の予定を考えるのが好きだった。

「週末になったらあそこに行こう」「今週末はあいつを誘って食事に行こう」などなど。

週末に実際に遊ぶ時よりも、この時間が好きだった。

たぶん、その楽しみを取り上げられたような気分になってしまっているのだ。

もちろん、大切な友人はいてくれているのだけれど、ひとりだけ週末の予定に誘えない人が増えてしまったことが、僕には大きかったのだ。

依存していたことは認める。

でも、あの苦しさは辛いだけだ。

こういう気持ちをバネに出会いを求めるけれど、あの楽しみにはもう少しだけ時間が必要そうだ。

無理はしたくないけれど、できるだけ前向きでいたい。

せっかく良い波に乗れたのだから、変な要素は取り除きたい。

しかし、こんな風にして記憶というものは随所に残ってしまっている。

何気ない日常を共に過ごしたのなら、想像のつかないぐらい細かいところにまで残っているから、ちょっと厄介だ。

それでも、僕はこれが一生続く事なんてないと思っている。

半年もすれば、ある程度は思い出さなくなるか、思い出す事に慣れるはずだ。

凡事がそれである。

休養期間で学んだ、「流れに身を任せる」というのは、きっとこの感覚を含んでいる。

辛い時が、全くなくなるわけがないのだ。

こうやってひとつひとつ乗り越えて行こうと思う。

☆ーなつのの活動ー☆

noteの過去記事はこちらから↓↓↓