【エッセイ】家事が教えてくれた希望と感謝

こんにちは!

なつのです!

今日は家事との関わり方についてぼんやりと思ったことを書いていきます。

家事が教えてくれた希望と感謝

最近、日曜日に達成感を感じるようになった。

特に予定がない場合は日曜日に大抵の家事をするのが習慣になっている。

元々、ひとり暮らしではない時も何もない日曜日は家事の日となっていたように思う。

平日・休日に限らず行う洗濯や洗い物はできる限り洗濯機と食洗機に任せてしまって自分の時間を確保するようにしているが、料理だけは面白いということと節約するということがあり外食や仕出のお弁当などを利用せずに作り置きするようにしている。

平日でも気が向いた時には簡単に料理して食べる時もあるけれど、ほとんどの場合仕事から帰ってくると料理すらしたくない気持ちになっている時が多いから作り置きしておいて、最悪冷凍してあるご飯さえあれば1食になるようにしているのだ。

この形もだいぶ定着してきており、誘われない限りは平日に外食に行こうとか、何か作らないと…とならなくなった。

料理は面白いのだけれど、やはり毎日のこととなると仕事も絡んでくることがあるので現実的ではない。

だから僕には作り置きという便利な料理はとてもありがたい存在なのだ。

こんなことを書くといかにもすごい料理を作っていそうなものだが、僕が好んで作るのはなんというかズボラな料理である。

簡単にできて、美味しいものが僕の中では最強だ。

例えば、いつも作る煮卵はとても簡単だ。

決まった時間で茹でた5つの卵を、殻を剥いて袋に入れ、そこに3倍濃縮の麺つゆを薄めずに50ml入れてあとは冷蔵庫で放置するだけ。

気がついた時に一回ひっくり返して卵全体に味が染み込むようになれば、完成。

煮卵と言いながらも、煮ることもなく、また調味料をひとつひとつ計らなくとも良い点がかなり気に入っている。

しかも、これが結構美味しいからやめられない。

僕の作る煮卵は特に手間がいらない典型的な作り置き料理なのだが、この他のレシピもそれほど手間が掛からないものばかりである。

作る量もひとり分とあって最小限で狭いキッチンでもパパッとできる。

最初、いくつかのレパートリーを覚えるまでは手際も悪く時間ばかりが掛かってしまっていたが、半年以上自分のお弁当をコツコツ作っていたおかげで流石にいつもの副菜は作り方も調味料の量も比率も覚えた。

見栄えは男料理という感じだし、5日間の弁当は毎日同じメニューになってしまうのだけれど、自分で作ったものだから味には文句も言えないし、かなりの節約になっていると感じる。

だから、最近はお弁当と作り置きが出来上がる日曜日の昼ないし夕方ごろにどこか達成感を覚えるようになったのだ。

今まで最低限の料理はしてきたけれど、ひとり暮らしで料理を継続することが達成感に繋がるとは本当に予想外のことだった。

数ヶ月前は「料理って趣味になるんだな」と驚いていたけれど、もう完全に趣味になっていることに気付かせてくれたのはこの達成感に違いない。

家事って生活に必要なもので、どこか「やらなきゃいけない」って感じがある。

僕もそう思う。

でも、義務的で面倒だと思いながらもちゃんと続けていたら、「ちょっとやってみるか!」ぐらいにはなっていた。

もちろん僕は未だ独身であり、気ままな生活ができるからだということはあるが、結婚しようと子供ができようと家事にも前向きになれるように思うのだ。

今はひとりだけれど、もし僕が家事をすることで家族の支えになれたり、料理を美味しいと言われたら、間違いなく今以上の嬉しさがあると確信を持てるからである。

同時に独り立ちするまでに自分のために家事をしてくれていた母と祖母に感謝を伝えたくなった。

今年の年末は帰省できそうだから、こんな話をしてみようと思う。

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