【エッセイ】心が辛いなら、先に身体を制御する

だんだんと身体が日常を変化させつつある。

失恋の痛みは、まだ完全には消えないが、日常を過ごすことで、少しだけ身体が慣れてきていると感じる。

会社にはちゃんと行っていたが、時折気分が落ちてしまい、手が止まる事がある。

「結構、重症なのだ」と我ながら思った。

気持ちを押し込めるほど、身体に悪いものはないから、ある程度は受け入れるようにしているけれど、仕事は仕事だ。

せめて、気持ちが落ちたとしてもできることを優先してやるように努めている。

だから精神的に辛い状態で、作業していることもあったのだけれど、失恋して次の日は地獄のようだったが、今日はあの日ほど落ちずにいた。

たった数日のことだけれど、身体が順応するペースは、頭とか心とかが順応するより、早いと思えた。

どれだけ辛くとも、なんとか身体だけは順応してくれたから、それに釣られるように、頭も心も少しづつついて来ているような感覚だ。

僕自身はひとつの人間だけど、身体と心はきっと全て一緒ではないのだと知った。

もちろん、身体と心が合致しているに越したことはないのだけれど、心が激しく揺れ動いた時は、どちらかがどちらかを先行することの方が多いのではないか。

あまりにも嬉しい時には、身体が自然と動いてしまうし、あまりにも悲しい時には、無意識に涙が流れる。

ちょっとだけ不釣り合いなバランスになり、ひとりの人として不安定になる。

ただ、もうひとつだけわかっていることもある。

それは、どれだけバランスを失っても、時間が経てば心地良いバランスに戻るということである。

時間が解決するとは、まさにこのことなのだろう。

それでも辛い状況から、できるだけ早く抜け出したいのなら、わざと扱いやすい身体の方を先行させるのはひとつの手である。

仕事でも、運動でも、なんでも良い。

じっとせずに何か行動してみるのだ。

精神的に辛すぎるのなら、無理には言わない。

しっかりと身体を休めたり、しっかりと自分の心と向き合った方が良い時もある。

ただ、時間は有限だ。

あなたの時間は、誰のためでもなく、あなたのための資源だ。

ただ腐っていては、あなたの素晴らしい時間はどんどんと流れていってしまう。

だから、辛い心を押し切ってでも、身体だけは制御して、行動してみるのはいかがだろうか。

僕も時間は無駄にしたくないし、一刻も早くこんな状況から抜け出したい。

だから、僕は動くことに決めた。

もし、辛い思いをしていて、動けないような状態なら、共に進もうじゃないか。

手は取れなくとも、並走はできる。

一緒に行こう。