【エッセイ】悲しみを昇華させるには

こんにちは!

なつのです!

あなたは悲しみを塗りつぶす以外の方法を知っていますか?

悲しみを昇華させるには

悲しい思いを昇華させるものはなんだろうか。

ここ1年でずっと考えてきたことである。

僕は昨年のこの時期からかなり波の激しい時間を過ごしている。

プロポーズした女性との別れたこと、会社員へ戻ったこと、母が体調を崩したこと、新しく女性と知り合ったが数ヶ月後に失踪したことなどなど。

もっともっとたくさんのことがあったけれど、どちらかといえば悲しいことが多くて叫びそして逃げたいような気持ちになる時の方が多かった。

世の中の悲しみを一手に担い受けるような図々しさは持ち合わせていないが、それでもどうすれば不意に感じた悲しさを昇華させることができるのかと勝手に思っていた。

悲しみを紛らわすことは一時のことであれば簡単にできる。

簡単にできない時もあるぐらい落ち込むことだってあるだろうけど、紛らわすことはそれほど難しくはない。

しかしそれを何かに昇華することはなかなかにレベルが高いのだ。

わかりやすくするのなら、楽しく酒を飲んだとして悲しみは一時紛らわすことができても、昇華には至らない。

多分これは僕だけでなく深い悲しみを経験した人ならば誰しもが思うところなのではないか。

友人と遊びに行くことや、大好きなゲームをやりまくること、美味しいものをお腹いっぱいに食べることなど、どれも心地の良いことでどれも尊いものであるが、悲しみの根源を取り除くものではないと考えている。

もちろん一時的な紛らわしを繰り返すことも全く効果がない訳ではない。

時間稼ぎにはなるので自分の治癒力などにより傷が癒えていくことは間違いない。

ただ根源はそのままだ。

絆創膏的な役割しか果たしてはくれないのである。

根源をどうこうするには昇華するできる何かを考えなければならないのだが、その答えはまだまだ見つかりそうにない。

ただ実はここ最近でひとつのヒントのようなものを得た。

それは悲しみを何かに置き換えて打ち消すのではなく、変換なしに表現することが大事らしいのである。

悲しいことはできれば誰も経験したくない。

だからこそ表現することができればそれが稀有な作品となるということだ。

そんな稀有な作品は多くの人の救いになる可能性がある。

高いハードルなのだけれど、それが昇華という言葉に近しいのではないか。

一種の自傷行為にもなりかねないが創作とは楽しいことばかりではない。

僕も一端の創作者としてはここに向き合わないわけにはいかない。

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