【エッセイ】過去の夏と今年の夏

夏が到来している。

休養をとっている間に梅雨が明け、本当に大好きな季節がやってきた。

海に行くのもいいし、バーベキューを楽しむのもいい。

熱に浮かされて何事も楽しくなれるのは、この季節特有のものだと思うのだ。

今年は今までの夏とは少しだけ違うものになりそうだけれど、せっかくの夏なのだから「これをやっておけば良かったなぁ」とはしたくないと思う。

しかし、いつもより活動的になれない自分がいるのも確かで、少しだけ腰が重くなってしまっているのだ。

落ち込んでいるからとも考えられるけど、何だかそれだけでもない気持ちもある。

少なくとも大学生の時からしても、もう数歳の歳を重ねていて、いざ周りを見渡すと大学の同期でさえどこか落ち着いているようにも見える。

個人的には大人になってもはしゃいで楽しめる方が好きなのだけれど、何だか自分ばかりが子供のままでいるような気持ちになり、少し寂しさを感じてしまう。

向こうからすれば、家庭もあるし、良い大人なんだからという気持ちだろうけど、一方で家庭を持とうが子供を育てようが、昔と変わらずにはしゃぐ仲間だっている。

人によりけりなのだろうけど、性格とか捉え方が大きく変わる人もそうでない人もいるのだ。

つまり変わらずに夏を楽しめる人もいるし、変わって別の過ごし方をする人もいる。

ただ、それだけの話なのだ。

過去に夏を楽しんでいた自分を、懐かしむなんてまさに何かが変わった人の方だから、僕も一概に言えたものでもない。

こうやってパソコンに向かっている時でさえ、外から差し込む日差しは一層強くなり、準備もしていないのに「今年も夏が来たんだなぁ」なんて感じる他ないのは、やはりどうしても今までとは違うのだ。

かつて、今日と同じようにひとりきりで楽しいはずの夏を過ごしたことも何度もある。

あるはずなのに、近年の過ごし方がそれを忘れさせてしまったのだ。

だから、昨日辺りからずっとひとりで過ごしていた夏を思い出していたのだ。

どこで、どんな風に過ごしていたのか。

それだけをひたすらに思い出し、孤独な夏は初めてではないはずだと、自分に言って聞かせている。

たぶん過去にも孤独な夏は寂しかったのだろうけど、その時の経験があるし、そんな寂しい夏の瞬間を乗り越えたからこそ、楽しい夏もあったのだ。

だから、生命線をたどるように、自分の記憶を呼び起こしているのだ。

全てを思い出せるわけもないし、そこまでしてしまうと体にも毒になる可能性があるから、良い塩梅で十分だ。

こんな風に考えるのは、きっとあのキャッチコピーが頭から離れないからだ。

「あの夏を超える」