【エッセイ】冬が嫌いになっただけ

こんにちは!

なつのです!

僕はここ1年で冬が嫌いになってしまいました。

今日は嫌いについてポジティブに書いていこうと思います。

冬が嫌いになっただけ

誰かや何かを嫌いになる瞬間がある。

何か嫌なことをされたとか、嫌な思いをしたというのが、そのほとんどだろう。

しかし、嫌いになるというのはそれまではなんともなかったか好きだったということである。

そんな状態が変化するから、嫌いに「なる」ということになる。

どれだけ想いを寄せた人でも、酷いことをされれば嫌いになることだってある。

好きが、嫌いになる瞬間だ。

僕はここ1年で嫌いになってしまったものがいくつかある。

それらはまだ嫌いなままなのだが、これらは放置している。

無理に好きになろうとはしない。

嫌いなものは嫌いなままで受け入れている。

僕はここ1年の間に冬の1月になんだか嫌な経験を繰り返している。

今年は2回目だったのだけれど、たった2回の経験でも経験したことの大きさによってここまで自分に刷り込まれるのかと驚いてしまう。

冬の1月が嫌いになってしまっている自分に気が付く。

楽しかった冬もたくさんあるはずなのに、この1年の間の出来事はそれほどに大きかった。

なんか大人気ないなと思うこともあるけれど、やはりこれを無理に好きになろうとは思わない。

嫌いなままでいるだけだ。

ではそうやって嫌いが増えていくだけなのかというと、実はそうでもなさそうなのだ。

子供の頃に嫌いだった食べ物を大人になって食べられるようになるみたいに、嫌いなものがいつの間にか克服できたなんてことはたくさんある。

克服なんて大それたことでなくとも、嫌いなものをなんとも思わなくなったということはもっと多いはずだ。

僕は昔から嫌な思い出が出来てしまった場所を訪れることが嫌いだ。

それは鮮明にその頃の嫌なことを思い出してしまうからである。

ただ、時間というものは偉大であり、数年も経てばあれだけ嫌だった場所もなんともないと感じるようになっていた。

むしろ甘酸っぱいというか、ほろ苦いというか、そんな思い出として振り返ることができるようになっている。

僕は今の段階でも訪れたくない場所がいくつかあるが、それはまだ悲しい記憶が新しい状態のままだからである。

だから嫌いのままでいても良いのだ。

時間が解決してくれる。

まだ冬も続けば、嫌いな場所も依然としてある。

それでも生活を続けていけば、そんな嫌いの集合体も懐かしい思い出になる。

ただそれだけのことである。

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