【エッセイ】フラフラでも進む理由

穏やかではある。

会社を長期休養し、生活を送っているから、生活自体は穏やかである。

しかし、心にはまだまだ波があるようだ。

要は、ポジティブである時と、そうでない時の差が激しいのである。

僕には元々、それらの差が激しい特性みたいなものがあって、今はその特性がより顕著に現れてしまう事で、心穏やかにいられないような状態になってしまっているのだろうと思う。

自分でもこの性格のコントロールにちょっと難しさを感じているにも関わらず、こんな事態になってからは、難しさが更に上がってしまったようなのだ。

普通なら生活に支障が出るほどのものでないから放って置いたのだけれど、それがいけなかったのかもしれない。

そう思うと、また途方もなく自分を責め続けるようになってしまうので、この辺りにしておこう。

それでも、少しずつは前に進んでいるようで、会社は休んでいても、個人の仕事は休まず続けられているし、始めたばかりの婚活も準備期間が終了し、ようやく活動自体がスタートした。

完全な状態でなく継続あるいはスタートするのは、可能なことなら悪いことでもないだろう。

ものによりけりだけれど、そう思うのだ。

さすがに、足が折れている状態でマラソンしようとは思わないけれど、例えば婚活を先行して始めることで、早く新しい出会いがあれば、今の落ちる状態からは、解放されるかもしれないからだ。

つまり、活動の最中にも傷が癒える可能性があるということだ。

逆に、婚活をすることで、今の癒えぬ傷が酷くなる可能性もあるけれど、今回の一件でどん底を味わったのだ。

そこから少しでも這い上がれるのなら、その可能性に時間を投じるのは、決して悪い選択ではないだろうと思うのだ。

前に進むとは言っても、このように傷を癒しながら進む事になる。

だから、フラフラすることもあるだろうし、進みも決して早くはないだろう。

だけど、ずっとどん底に留まるよりは、よっぽど心には優しいのである。

無理をしてまたどん底に落ちないようにだけは気をつける必要はあるが、これがきっと今できる最善なのだ。

☆ーなつのの活動ー☆

◎noteの過去コラム・エッセイはこちらからどうぞ!