【エッセイ】不安ならダンベルを挙げる

この頃、精神的に安定せずに、ひとりでいることが苦痛になったり、不安になったりしていた。

これまでの生活では、割と長いこと誰かと共に生活してきたから、近くに気軽に話しかけられるような身寄りがいない状況に、やはりまだ慣れていないのだ。

車で1時間も走れば、大学の頃の友人がいるし、当時からずっと仲良くしてくれていたので、まだ恵まれている方なのだろう。

しかし、相手にも生活があるから、いつでもすぐに連絡して、遊びに行こうとはならない。

やはり、これができたのは社会人になりたての頃ぐらいが、限界だったように感じている。

段々と歳を重ねていき、周りは既婚者だらけになっていて、相手は「気にしなくていいよ」とは言っていても、無理して「気にしない」風を装えば、それはそれで気を遣わせることになりかねない。

考え過ぎなのだろうけど、これも大人になるということなのだろう。

では、ひとりでいなければならないような状態では、どうやって苦痛な時間をやり過ごしているのか、ということになる。

悶えるように過ごすこともあるが、それこそ精神的によろしいものではない。

ウジウジと頭の中で考える時間は、この1ヶ月の大半を占めていたけれど、ここをなんとかせねば、復帰も困難なのはなんとなくわかっている。

そう思った時に、ふと目に入ったのが、ダンベルだった。

先日、自己肯定感について書いた時にも、筋トレのことに触れたが、それがまさにこの瞬間のことだったのだ。

「そういえば、最近筋トレもランニングもしてなかったな」

そう思った時には、既にトレーニングベンチに寝そべり、ダンベルプレスを開始していた。

約半年もの間、サボってしまったためか、ダンベルの重量は変えていないのに、胸筋が悲鳴をあげている。

筋トレしている間は、何かを考える余裕などなく、ただただダンベルを挙げること、回数を数えることだけに集中できる。

そして、筋トレが終わると、少しだけ息が上がった状態になって、体もポカポカしてくる。

「このまま走りたい!」

すぐさまランニングシューズを履き、外へ飛び出した。

近所には、溜池回りを走れるランニングコースがあり、そこを何も考えずに走った。

息が切れるようなペースになってしまって、結局5kmが限界だったけれど、気分が良かった。

誰かが「汗を流すと、ストレスや不安も一緒に流れる」と言っていたのを記憶しているのだが、これは本当だと思った。

これまでにも何度か経験して来ているはずなのに、この時以上に腹に落ちた事は無かった。

これからもきっと、不安になったり、無性に孤独を感じることは避けられないと思う。

でも、僕は幸運にもその対処法をひとつ手に入れている。

不安を摘み取るようにダンベルを挙げよう。

孤独にさいなまれそうになったら、ランニングで振り切ろう。

自分を鍛える事で、不安や孤独と対峙しよう。

【本日の参考図書】

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