【エッセイ】広くない部屋は幸不幸を教えてくれた

こんにちは!

なつのです!

今日は何気ない価値観のエッセイをどうぞ。

広くない部屋は幸不幸を教えてくれた

6畳一間に住んでいる。

決して広いとは言えないけれど、だいぶ快適な空間でひとり暮らしにはちょうど良い。

キッチンやトイレも最低限の広さといった感じで、毎週の作り置きをする時にはもう少しだけキッチンのスペースが欲しいなと感じることがあるぐらいで、日常ではほとんど支障がない。

この部屋を選んだのは会社が近かったからという理由だけであり、そもそも僕の住む場所はそこそこに田舎で選択肢がほとんどなかった。

要するに会社に歩いて5分のところに物件があっただけも幸いだったと言える。

この辺りはどちらかと言えば住宅街で、賃貸物件はほとんどないのだと不動産屋さんが言っていた。

家賃は駐車場込みで33000円とありがたい賃料。

そのお陰で家計簿の固定費の合計が設定した金額をオーバーしたことはない。

ここに移り住んだのは同性の解消がきっかけだったから、ちょっと乱暴な感情で即座に決めてしまったところもあって少し苦い思い出も含まれているのは否めない。

だけど、元から住めば都な性格なのでこんな部屋が好きになれる自分がなんとなく嬉しい。

田舎で、狭い部屋で、現状では車も無くて、なんて条件が揃っているせいか会社の人からは不幸っぽく言われることもあるが、余計なお世話だなと感じる。

都会で、広い部屋で、高級車を乗り回していれば、必然とお金は飛ぶように無くなっていくので僕のお金の感覚には当てはまらなくなってくる。

お金が全てだとは思わないし、僕もまたパートナーと共に生活するとなれば今の生活環境とは違うものになるだろうけど、お金を大切に使う感覚は無くならないだろう。

いくら稼ごうがこの感覚は無くならない。

Z世代だなんだと言われるけれど、経済が上向きだった時代にいい思いをした人達とは感じるものが違い、当然価値観も違う。

そんな過去の尺度で人の生活を計ってくれるな、と思ってしまう。

広くない部屋に居て、文章をつらつらと書いたり、それなりに料理して少しお酒を飲んでみたり、洗濯したタオルがふかふかなのに感動したり、デスクの上の植物が伸びていることを嬉しく思ったりする。

ひとつだけ欲を出すとすれば、こんな空間で誰かと話す時間ができれば僕の中では最高に嬉しい。

結局のところ、幸不幸なんてそんなものなんじゃないかって思える。

誰にどう思われようが、自分が楽しいとか嬉しいと思えるものがあればそれでいいのだ。

変に見栄を張ることで悦を感じる人は、多分自分が何をして楽しいとかどんな時間を過ごすと嬉しいとかがまだわかっていないから「自分はこんなにお金を使えるんだぞ、どうだ凄いだろ」としか思えないのだ。

尺度のようなものがお金一辺倒になっているのだろう。

それはもう呪われているようなものだ。

この6畳一間で暮らすことで何が必要で嬉しいか再確認し、何が不要で卑しいと感じるのかを知り、そして呪いを避けられる。

呪いを避けながら、自分ができるだけの最高の贅沢を時折すればそれで十分だ。

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