【エッセイ】他愛もない話をできるということ


こんにちは!

なつのです!

本日は友人の結婚式で思ったことをエッセイにしました!

他愛もない話は誰とでもできることではない

他愛もない話ができることは、これ以上ないほどの楽しさがある。

昨日、親友の結婚式に招かれ、旧友や親友の会社の友達らと、数多くの言葉を交わした。

他愛もない話を、ただただ続けて、笑い合うということが減っていたから、ちょっとだけ懐かしいような感覚を覚えた。

これほどまでに、人と何気ない話をすることが楽しいと思えたのは、やはり最近、外に出られなかったということが影響しているのだろう。

誰かに会って話す機会そのものが減ってしまっているのだ。

こんなご時世だから、仕方がないのはそうなのだが、体調だけでなく、精神的なケアをすることだって、もちろん必要だ。

人と話すということは、程度の差こそあれ、誰にとっても心のケアになり得る。

内容など無くてもいいし、むしろ訳のわからない話を、なぜか笑って話していられるということの方が、心のケアとしてはきっと価値があるのだ。

それほど難しく考えなくとも、単純に話していれば楽しいということである。

会話はよくキャッチボールに例えられる。

こちらから投げた言葉のボールを、相手が受け止めて、投げ返す。

こちらに来たボールを、自分が受けて、次に相手に投げる。

ボールが、言葉になるだけの話で、非常にわかりやすい。

ボールも言葉も、こちらから投げることで、ほとんどの場合は、返ってくる。

この返答というか、反応があるから面白いのだろう。

もちろん、ボールの速度がとても早かったり、逆に遅かったり、投げ込まれる場所がめちゃくちゃな時だってある。

ただ、それでもボールは行ったり来たりできる。

どれだけ不格好でも、ボールの行き来が成立すれば、それなりに楽しめるということである。

何も気取らなくても、ただ話したいことをお互いに話すだけでいいのだ。

簡単そうで、尊いことは案外近くにあるようだ。

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