
こんにちは!
なつのです!
今日は一生懸命働く人に読んでもらいたいエッセイです。
母が働く大人のスタンダード
1週間が終わった。
最近、アパートの玄関のドアを閉めると「ただいま」の次に「疲れたぁ」という言葉が出る。
体が正常に動ているし、ちゃんと仕事している証拠だと思える。
すぐにでも疲れた体にお酒を供給してあげたいところではあるが、筋トレなどやりたいこともあるし、朝活でできなかった仕事は夜に回す他ない。
時間がなくなるのは複業している者にとってはそこそこ定番になりつつある。
会社員の仕事をして、別の仕事もする。
幼い頃に実家の母がこぼしていた言葉をふと思い出す。
僕が幼い頃、実家は祖父母が主体の農家だった。
彼らはずっと農家としてのみ働き続け、3人の娘を見事に育て上げたし、その後孫ができてからも実家の家計を支えてきた。
幼少期の僕にとってはそんな生活は当たり前の風景であり、「働かざる者食うべからず」の如く、小学生だろうが受験だろうが農家の手伝いも当たり前のように生活に溶け込んでいた。
ゴールデンウィークは田植えに駆り出され、夏場は作物の出荷や収穫、秋には稲刈りや新米の出荷作業と農閑期以外は学生とは思えないほどの忙しさだったように思う。
しかし、大人になって思い返してみるとやはり学生時代は時間があったように思う。
もちろん勉強もそれなりにしないといけなかったし、小中の頃は半強制的に部活動もやっていて、その上で塾にも通っていたのでよその子と比較すると勤勉だとなるかもしれない。
それでもなんとかゲームする時間を見つけていたし、友達と遊ばなかった訳ではないから、それなりに時間があったのだ。
そして振り返った時に思い浮かんだのが、母の顔だった。
母は4人の子供を育てるために、世の中がバブルだろうが関係なく専業主婦の道ではなく仕事を続けた。
実家には祖父母もいたけれど、父は単身赴任で家にいないことがほとんどだったから、一家の中心には母の存在があった。
母こそ勤勉であると思っていて、夜誰よりも遅くに帰宅して、誰よりも遅くに寝るにも関わらず、朝は誰よりも早く起床してお弁当と朝ごはんを作ってくれていた。
子供たちを送り出すより早くに出勤する姿は頼もしいの一言である。
働き方が大きく変わった世の中だから、このような母の働き方をとやかく言いたくなる人もいるだろうが、僕ら兄弟にとってはそれが働く大人のスタンダードになった。
ただ、そんな母もやはり人間で、僕と同じように疲れる。
僕が高校生のある夏の日、いつものように高校から帰宅して実家の手伝いをしていたのだが、その日の収穫量は半端なく到底いつもの時間には出荷準備の作業を終えられない時があった。
うちの祖父は昔ながらの頑固一徹で、その日の分が終わるまでは家族総出で手伝わなければおかしいと考える人だった。
そこに帰宅した母も、祖父にとっては例外ではない。
祖父にとっては家業は、家族全員のものだから、仕事から疲れて帰って来ようが問答無用で母にも手伝えとだけ伝えた。
たぶんその日、母は相当に疲れていたのだろう。
今までも怒ることはあったが、その時ばかりは怒りを通り越して冷静に「疲れたから勘弁して」と言った。
働き者の母にしてはとても珍しいことだった。
祖父は当然のようにプンスカしていたが、祖母の説得と息子達の頑張りによりなんとか場は丸くおさまったが、今でも覚えているぐらい衝撃的なことだったのだ。
大人は働いて疲れるのだと刻み込まれた。
だから、会社から帰ってきて個人の仕事をしていることをなんとなく普通に感じるのは実家の経験が大きい。
そしてそんな生活を続けられるのも、母の姿を見て育ったからに違いない。
「疲れた」なんて言葉にするなと言う人もいるけれど、「疲れた」ぐらい言わせて欲しい。
ちゃんと働いて、精一杯生きているんだからさ。
☆ーなつのの活動ー☆
◎のんびりと質問募集中です!
ノージャンルかつ、匿名・ペンネーム可能で質問ができます!
日頃のモヤモヤをここで解消しませんか?
↓↓↓こちらから質問する↓↓↓
◎noteの過去コラム・エッセイはこちらからどうぞ!