【エッセイ】「クリスマスなんて嫌い」だった

こんにちは!

なつのです!

「クリスマスなんて…」と思っている方にぜひ読んでほしい文章です!

「クリスマスなんて嫌い」だった

クリスマスだ。

なんとなくだけどいつもの住宅街がワクワクしているように見える、そんな夜だ。

今年はクリスマスが週末だというのと、コロナが一旦の収束傾向にあることで、余計に楽しい時間になっているのかもしれない。

素敵なことである。

僕は昔はクリスマスがそれほど好きではなかった。

すごく記憶に残っているのは高校生の時である。

僕の世代でも高校生にもなると彼氏彼女がいる生徒も多くクリスマスを誰かと過ごすなんてことは彼らにとってその当時から当たり前のことだったのだろう。

しかし、僕はというと全くモテずに好きな女の子からもフラれてばかりだった。

当時どうしても好きだった女の子も彼氏がいて、もちろんクリスマスには予定があるようだった。

フラれた僕は家で過ごすしかなく、帰宅する時に目に入る街のキラキラが鬱陶しかった。

クリスマスは恋人と過ごすものだと決まっているわけでもないのに、どうしてこんなに悲しい気持ちにならなければいけないのかと思って過ごしていた。

結局、大学生になるまで彼女はできなかったから、クリスマスが素敵なイベントだなんて思えたのは本当に小さい時だけだった。

でも、今は少しだけ違っている。

さすがに高校生の時の妬みやっかみは無くなっているように思う。

恋人と過ごすクリスマスを経験したから、価値観が変わったところももちろんあるが、実はそれだけではない。

意外なきっかけで価値観が変わることもある。

僕はアニメを好きでよく見るが、好きな作品の中に「とらドラ!」がある。

有名な作品なので説明は省くが、高校生男女の恋愛模様とか葛藤、そして成長を描いたいわゆる青春作品である。

語ればキリがない作品のひとつなのだけれど、クリスマスが好きになれたのはこの作品のお陰なのである。

この作品に出てくるヒロインのひとり、逢坂大河はいつもは感情がピーキーないわゆるツンデレタイプの女子なのだが、クリスマスには決まって良い子にするようにしていた。

彼女は孤児院の子供たちに向けて毎年贈り物を届けているのだが、彼女の中には「クリスマスはみんなにとって素敵なもの」という思いがありそれを強く信じていた。

これはクリスマス話の前振りの部分で、もっと感情が揺さぶられるようなシーンはたくさんあるのだけれど、当時の僕にはこれが深く刺さったのだ。

誰にとっても良いことなんて存在しない。

誰かが良い思いをしている時、反対側には辛い思いをしている人がいるとずっと思ってきたから、妬みやっかみが酷かった僕がいた。

逢坂大河もそういうキャラクターだった。

それなのに「クリスマスはみんなにとって素敵なもの」だなんて言い出すのだ。

そこから、僕はクリスマスが素敵なものだと思えないのは自分が斜に構えているからなのだと気がついた。

献身的になった逢坂大河は最終的には報われることになる。

その姿はその思いとセットで記憶に残っている。

あなたがクリスマスをどのように過ごしているかは、わからないけれど、ひとつだけわかっているのは「クリスマスはみんなにとって素敵なもの」だということだ。

今、報われないことがあってもちゃんとどこかで報われるものだ。

そんな風に思えるだけで、クリスマスは結構あったかい時間になるはずだ。

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