【エッセイ】抗うように生きても良い

ここ最近の行動は、どこか衝動的だと感じる。

いよいよ梅雨が終わって、本格的に夏になろうとしている。

夏が好きなせいで、どうしても去年までの夏を思い出し、その度に胸が苦しくなる。

海に行ったなぁとか、花火を一緒に見たなぁとか、誰にでもあるようなありふれた思い出だけれど、今年はそんな思い出が悲しく、とても苦しい。

夏になれば、ほとんど無条件で動き出したくなるようなワクワクを持ち続けていたのに、今年はワクワクと言うよりもチクチクするような痛みが走る。

大好きな夏だからこそ、なぜそばに君がいないのかを痛感してしまうのだ。

そろそろ感傷に浸るのも、いい加減やめにしたいと思いながらも、僕は前に進んでいるようで、後戻りもしている。

三歩進んで、二歩下がる。

そんな感じかもしれない。

きっと進むには一歩ずつしか進めないのだと伝えたいのかなと思っていた。

そして、一歩ずつ進めればそれで十分じゃないか、とそうも思っていた。

ただ、思っていたよりも、その地道さに負けそうになっている。

誰かが一歩一歩踏みしめて、押し戻されながらも、懸命に進んでいることは応援できるのに、いざ自分のこととなると自分に声をかけてあげることさえできなくなってしまう。

それほどまでに、自分が見えなくなっているのだろう。

鼓舞することも、勇気づけることも、今はできそうにない。

ただ、この瞬間を生きるだけなのだ。

それが唯一、進めている一歩なのだ。

どんな生活であろうと、生きるのだ。

どれだけ別れが辛くとも、どれだけひとりが嫌でも、抗うように生きるのだ。

眩しすぎる夏の日差しは、今のところ全く心地良くないけれど、そんな日差しの中で必死に生きる自分を自分が応援できなかったら、誰が自分を認めてあげられるのだろうか。

今は、辛いことを受け入れる必要なんてない。

抗うように生きても良い。

自分にそう言い聞かせれば、ちゃんと自分を応援することができるようになるはずだ。