【コラム】「忙しい」の前に時間の密度を考えてみる


こんにちは!

なつのです!

本日は時間に関するコラムです!

時間にも密度はある

休日を忙しく過ごすこともあるようになった。

今年の春から個人の仕事だけでなく会社員の仕事も再び始めており、数年前に経験した複業体制に戻った。

理由はいくつかあるけれど、今日はそれに触れない。

今日触れたいのは、複業体制に戻って約半年が経過してどうだったのかについてである。

ひと言で言うのなら、時間の密度が濃くなったということだ。

毎日毎日が忙しくなってしまってどうしようもないという程ではないが、この半年では休日まで忙しく過ごしてしまう時が何度かあった。

もっとも仕事だけでなくプライベートの予定を詰め込みがちになっていうるのも、平日休日共に忙しくなる原因なので一概に複業していることだけが問題ではない。

要は今までの個人の時と比較して、平日にできることが限られてしまっていて、それらのしわ寄せが休日にも現れているというだけだ。

会社の休日でしかできないこともどうしても出てきてしまうので仕方がないけれど、だからこそ時間の密度が変わったと感じる。

会社のある平日には、帰宅後に個人の仕事や筋トレなど軽い運動をすればたちまちに一日が過ぎる。

これまではそうやって習慣化できないものごとを切り捨てて来たけれど、逆に言えば今続けられているものだけが自分に合っていて残ったように感じている。

だから筋トレをしていても、個人の仕事を限られた時間の中でしていても、継続できるしなんなら短い時間で集中している感覚がある。

これが時間の密度の濃さである。

ではダラダラと過ごす時間がないのかといえば、全くそんなこともない。

むしろダラダラと過ごす時間を作るためにも、時間の密度をなるべく濃くする行動が必要だと、複業体制に戻る時から感じていた。

個人の仕事はブログも含めると毎日やっているが、できるだけ何も予定せずにダラダラと体を休める時間も必要なのだ。

そのような時間は会社の休みでしか作れそうにないが、このような縛りがあるからこそ時間を大切に扱うこともできるようになる。

休日まで忙しく過ごすようになるのは、時に不本意だがある意味では今しかできないことをやっている感覚を養うこともできる。

一方で時間の密度を濃くしたことで、ちゃんとダラダラできる休日を過ごせるなら、それはそれで達成感もある。

最近ではそんな生活が当たり前に戻りつつある。

これが複業体制に戻った僕が今思う率直なところである。

もしかするとこのような生活では「忙しい!」と一蹴されてしまう方もいるのかもしれないが、忙しいと感じるかどうかは自分がいかに時間に都合をつけるかでも大きく変化するのだ。

忙しさを理由にダラダラすることさえできなくなっているようなら、ぜひ時間の密度について考えてみてはどうだろうか。

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