【コラム】「ゆっくり」を選択するということ

こんにちは!

なつのです!

今日はこのブログのテーマである「ゆっくり」についてのコラムです!

「ゆっくり」は選ぶもの

先週から車のない生活を送っている。

ここでは何度か書いているが、僕の住んでいるところは田舎で決して交通の便に優れているとは言えない。

しかし、僕自身は通勤に車を使用しているわけではないので趣味以外の面では車が無くてもなんだかんだで生活はできると考えている。

どうしてこのようなことをしているのかについてはこの記事に書いてあるので、よければ読んでみてほしい。

昨日、一昨日は車を手放して初の休日となった。

いつもの駐車場に自分の車がないことには段々と慣れてきたけれど、休日には1週間分の食料品を買いに行かなければならず、これは初の体験だった。

最近は趣味でよく歩くようになったとはいえ、さすがに今まで車で行っていた距離を歩いてスーパーに行くことは困難だ。

行きは良くても帰りには荷物が増えて絶対に後悔することになるだろう。

だから、車を手放す時にせめて自転車だけは!と準備したのだった。

これまでも近い距離は自転車を使うこともあったが、メインの脚として自転車を使うのは大学生以来である。

しかも大学生の時よりもスーパーまでの距離が長いし、大学生の時よりはちゃんと野菜なども買うようになったのでそれなりに荷物も多い。

様々な要素が重なったことで非常に新鮮でありながら懐かしい気持ちで自転車を漕ぐことになった。

昨日は僕の住む街も台風一過で非常によく晴れていて気持ちが良かった。

いつもは外に出るのが嫌な人であっても「散歩しようかな」ぐらいにはなりそうな秋晴れだった。

そのような中を自転車で走るのは予想しなくとも気持ちが良いものだ。

実際にはとても気持ちが良かった。

歩くよりも速く、それでいて車よりも遅い速度で街を走る感覚は想像以上に気持ちが良かった。

ロードバイクのような格好の良い自転車ではなく、いわゆるママチャリなのだけれど3段のギアがついていて2速から3速に上げる感じが楽しい。

その時に改めて思った。

「僕はゆっくりが好きなんだ」

愛車遍歴でも速い車よりも、街中で力をフルに使える楽しい車を選んだ僕にも共通している感覚だ。

そしてもうひとつ気がついたことは、程よくゆっくりであることは実は選択しないと味わえないということである。

高級なものはお金がないと買えないし、忙しいだけの日々では自由な時間を選択しにくいように、「ゆっくり」を選ぶこともあえて選択しない限りはできないのだ。

今回のことを例にするなら、あえて自転車を選択しない限りはこの気持ち良さにも気が付けなかったということだ。

「普通に」とか「周りに合わせて」とかばかりやっていると、あえて選択するということがしにくくなる。

それはもう不自由なのと変わらないのではないか。

だから、あえて不便なものを選択できるようになったのは割とすごいことなのではないかと思えるのだ。

詭弁のようだけれど、昨日の自転車の経験は紛れもない真の感覚だからそのまま言葉にした。

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