【コラム】「我が振り直す」を見直す


こんにちは!

なつのです!

本日は言葉に関するコラムです!

「人の振り見て我が振り直せ」

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉がある。

この言葉は、冷静に自分の事が見えているのか、と諭すようなものである。

だから、この言葉自体を知っていても、それをきちんと心に止めている人が、果たしてどれほどいるのだろうか。

少なくとも僕は、相当冷静にならないと、「人の振り見て」までは行けても、「我が振り直せ」までは愚か、我が振りを客観的に見る事ができていないと思う。

「我が振り直せ」は、言うほど簡単ではない。

最近になって、また僕の悪い癖が出た事で、それを思い知るようになったのだ。

新生活が始まり、既に長期連休も経験して、僕は新しい生活に慣れ、会社員の仕事もそれなりに順調だし、個人の仕事もさらに熱が入るような状態である。

こんなご時世にあって、忙しいけれど、それなりに充実感もあるというのは、一種の贅沢なのかもしれないなと思っている。

しかし、やはり忙しさを感じざるを得ない毎日だ。

会社は至ってホワイトであり、家を出る時間は8時で、18時過ぎには帰宅できる。

会社から自宅までは歩いて5分の距離なので、通勤のストレスは全くない。

帰宅する時間が早いので、帰宅後はそのまま個人の仕事に取り掛かるのが、平日のルーティンである。

個人の仕事は、いくつかあるけれど、平日に行っているのは、主に2つであり、作業時間はまちまちである。

夕飯を食べるときは、どちらか一方が終わったタイミングになるので、大体20時ぐらいになる事が多い。

効率良く仕事を進めなければ、ただただ寝る時間が削られて行くだけなので、嫌でも時間単価を気にするようになっているからいいやと自分に言い聞かせている。

日常生活の大体が、このような感じである。

もしこれが愚痴として書いているのなら、何かを辞めてしまえば良いだけの話なのだけれど、問題はそこには無い。

ここでの問題は、自分を納得させている自分がいるという事である。

確かに、かつて会社員と副業をしていた時には、深夜までパソコンに向かっていた事も多く、それに比べればだいぶマシであるが、一方で個人で仕事していた時に比べると、収入こそ上がったけれど、時間は無くなった。

僕が今の生活をしようと決めた時に、個人の時よりも時間の自由度は少なくなると、了解して複業体制になった。

多少はキツくなる事も、承知の上だったし、実際に個人一本の時よりは、明らかにキツいのだが、そこには充実感がある。

一方で、しっかり時間はかかり、自由度が少なくなったのだが、「将来の為だ」とか、「自分の為だ」と言うだけなら、良い。

しかし、ちょっと余裕が無くなると、「人の振りを見て」の部分が悪く発動してしまい、「我が振り」を直すのでなく、納得させている。

つまり、誰それに比べれば、僕はやっていると言い聞かせて、自分のキツい状況を納得させているのだ。

普段はそんな振る舞いをしなくとも、ふとキツさを感じたときに、こういう悪い部分が出る事がある。

もちろん、完全無欠の人間では無いから、そんな時もあるだろうけど、あまりに大人気ない。

だから、本当はこんな事を文章にしている事自体が、大変に恥ずかしい事なのだけれど、ぜひこれを読んでいただけたら、そのタイミングで「人の振り見て我が振り直せ」という言葉を、思い出して欲しい。

無闇矢鱈に自分を納得させる事が、癖になると、そういう感情でしか動けなくなる可能性がある。

僕はかつてそれで雁字搦めになってしまった経験がある。

ぜひ、気をつけて欲しい。

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