
こんにちは!
なつのです!
今日は共働きと家事について書いたコラムです!
今や共働きは男女共にスタンダードな考えとなっていますが、僕はそれを随分前に母から学んでいました。
家事に対するひとつの考えとしてどうぞ。
共働きの家事の重要性は母から学んだ
家事ができる方が良いことは言うまでもない。
何事もできるに越したことはないのだが、特に家事は生活に直結することであるから普通に生活していればその重要度が高いことは改めてい言うほどでもないのかもしれない。
僕らの親世代では稼ぎ頭と専業主婦とでも生活が十分に成り立っていたから、主婦でなければ家事などできなくても問題ないという考えはきっと今よりも一般的なことだったのだろう。
しかし現代ではそのような感覚も大きく変わり、共働きの方が当たり前となりつつある。
共働きを支えるのは便利な家電や家事代行サービスの存在もあるだろうが、共働きをすることができるのはパートナーどうしが支え合っている関係だからなのだ。
それらの荷重というか比率はご家庭によりそれぞれであり、その内容によっては問題に発展することも十分にあり得る。
だからこそ家事は、ひとりで生きていくためだけにあるものではなく、誰かと共に暮らしていくためにもできた方が良いことだと言える。
男だ女だと言っているような時代ではないのだ。
無理はしないまでも、どちらもができる限りのことをやる。
これを間違いないと結婚していない僕でもそう思えるのは、ずっと共働きだった親を見てきたからだ。
僕の両親は僕を含めた男四人兄弟を全員大学に上げるまでに育てた。
僕は三男だったので兄弟がいる環境は当たり前だったが、社会人になってようやく4人全員を大学に進学させたその凄さを思い知った。
父母どちらにも感謝して頭が上がらないのは当然のことなのだが、特に母親の凄さは僕が歳を重ねるごとに思い知ったことだ。
父親は単身赴任で休日に家に居れる時ばかりではなく、家事のほとんどは母親の仕事だった。
早朝から忙しく弁当作りをして、自分の仕事の支度をし、祖父と手分けして送迎が必要な兄弟を車に乗せて出発する。
祖父も祖母も農家をやっていたから、なかなかに忙しそうでバタバタとした朝は実家の普段の光景だった。
特に母にとってはきっと目の回るような毎日だったはずだ。
長男が産まれて、末っ子が巣立つまでは30年近くの期間があるのだが、その間ずっと母は仕事をしながら家事も欠かさなかった。
母の性格的に仕事は嫌いというばかりではなかっただろうけど、それでも毎日の家事を続けながら仕事するのは想像しただけでもフラフラになりそうなものだ。
そんな母の姿は僕ら兄弟にこそ強く焼き付いていき、小学校にあがる頃には僕ら兄弟は簡単な家事ぐらいならできるようになっていった。
農家の手伝いも小学校低学年ごろからは当然のこととなっていったが、手伝いの分担のようなものに料理したり、洗濯物を干したりすることが仕事となっていた。
子供の頃などは無条件で楽しいことがたくさんある時期だ。
手伝いが大変に億劫なことも何度もあったのはきっと僕だけでなく他の兄弟も感じていただろう。
そんな時に母親に言われた言葉が今でも忘れられないで頭に残っている。
「これからは男だって家事しないといけない時代になるからな」
母のその言葉しか拠り所のようなものがなかったことで、僕ら兄弟は実家を出る頃にはそれなりに家事はできるようになっていた。
母は父への皮肉として言ったのかもしれないけれど、今の時代の当たり前を言い当てていたのだから驚いてしまう。
お陰様で僕ら兄弟は皆、時代にすんなりと馴染めそうな男となったのである。
母の教えはやはり偉大だったのだ。
会社にお弁当を持って行っていることをよく「すごいねぇ」などと言われるが、僕は母の姿を小さく真似ているだけのことで本当の凄みは母にある。
感謝に感謝を重ねながら、料理する今日この頃である。
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