
こんばんは!なつのです!
✅最近、良いことないなぁ
こんな風に思っていませんか?
もしかすると、あなたは捉え方がちょっとだけずれてしまっているだけかもしれません!
ぜひ最後まで、ご覧ください!
小さな幸せを見逃すのは、なぜ?

生活をしていると、ふとした瞬間に、小さな幸せを感じる時がある。
例えば、僕の場合だと、ロボット掃除機が部屋をきれいにしれくれているから、掃除機をかけなくても部屋がピカピカとか、観葉植物から新芽が出ているとか、そんなものである。
面白いのは、この小さな幸せを感じとることができる時と、できない時があることだ。
本当は、いつも小さな幸せを感じて、どこかほっこりした気持ちになれれば最高なのだけれど、人間には無視できない感情が存在する。
感情的にあまりならない人でも、完全には感情を切り離すことは難しい。
だから、ほとんど誰もが、小さな幸せを見過ごしてしまう時が出てきてしまうのだ。
小さな幸せは、きっと誰の周りにも溢れている。
たとえ今、不幸の最中だという人の周りにも、必ずある。
では、なぜこれを見過ごすのかというと、単に小さな幸せをキャッチするだけのアンテナの感度が著しく落ちているからである。
いつもよりも料理が美味しく作れたとか、誰かにとっては些細なことも、実はアンテナの感度さえ良好なら、キャッチできたということも普通にある。
もう少し踏み込もう。
では、なぜアンテナの感度が落ちてしまうのか。
それは、いつの間にか、ささやかな幸せが当たり前のことになってしまうからなのである。
ようやっとの思いで手に入れたものがあったとしても、いざ手に入れてしまうと、どこか陳腐に感じてしまったり、買い物だと買う時がテンションのピークだったなどというのが、ちょうど当てはまるのかもしれない。
持っていることに憧れたことでした買い物では、こんな事が起こりやすい。
足るを知るとは?

しかし、当たり前になる前は、盲目的にそれを欲しがるのだから、どうしようもない。
ここで我慢できるようなことであれば、実はそれほど欲しているものでなかったとも言えるので、どっちに転んでも否定の声をいただいてしまいそうだ。
もちろん、ものだけでない。
環境に慣れすぎたせいで、その環境の嫌なところばかりが目について、最初は「いいな」と思っていたことさえも、見えなくなってしまうことだってある。
「離れてみて気が付いた」などというのは、こういうことだ。
人間はできるだけストレスを少なくしたい生き物だから、環境に慣れることは一つの摂理である。
ただ、そんな摂理に感覚まで従ってしまえば、ある種の奴隷のようなもので、よく深くなってしまう。
だから、「足るを知る」必要があるのだ。
欲望には、天井がない。
欲すれば、欲する程に肥大化する。
ただ、人間にはお金も時間も、資源というものは必ず限られているから、いくら欲望が肥大化しても、それに耐えることはできないのだ。
「足るを知る」ということは、そんな欲望に天井を設けることである。
天井を知るといっても良いだろう。
「ここまでいけば十分」と思えるラインは、どこにあるだろうか。
今一度、自分に問いかけてみると、そこから小さな幸せを享受することが容易になるだろう。
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