【コラム】執筆活動と承認欲求


こんにちは!

なつのです!

本日は個人の仕事に関するコラムです!

承認欲求を満たすための執筆ではないけれど

執筆活動と呼べるかわからないが、それに近しいことをずっと続けている。

このブログやnoteのように比較的自由に書いているのももちろんだけれど、ライター業なども継続しており、これも執筆活動と言えばそうかもしれない。

ブログに書いているのは、半分は日記のようなものでありこれを執筆と呼べるかと言われれば少し疑問な部分もあるが、ブログの内容をまとめて書籍として販売する人も沢山いるし、何よりも日記そのものが書籍になる事だってある。

そう考えれば、毎日のように続けているこれらも執筆活動なのかなと思う。

なぜ、こんなことを書いているのかというと、昨日の友人とのやり取りにある。

昨日は会社の夏休み後半戦の初日とあって、本当は友人と出かけることを計画していた。

しかし、オリンピックが始まったあたりからコロナの感染者数が多くなり、それに伴って警戒感が強くなり、その予定もキャンセルとなった。

結果的には、夏休みを通して誰かと会うことを辞めざるを得なくなってしまった。

まぁ、これは仕方のないことだと思っている。

さて、そうして予定のなくなった僕はどうしたかというと、ひとりでできる楽しみを模索して、そのひとつに早い時間から飲んでゆっくりしようという案があがった。

お休みだし、個人の仕事も終わっているし、たまには良いかなんて思いで気軽に始めた。

ひとりで映画を観ながら楽しく飲んでいると、元々遊ぶ予定だった友人からのLINEが入っていた。

「執筆活動は終わってる?」

友人の言いたいことは、「今何してる?暇?」ということだとすぐにわかったので、「飲んでるよー」と返すと普段通りのやり取りとなった。

友人は僕が今では副業にあたる仕事をしているのは十分に理解している。

だからこそ「執筆活動」という言葉を使ったのだ。

僕は「執筆活動」という言葉が嫌だったわけではない。

改めて執筆活動なのだと認識できた自分が嬉しかったのだ。

僕は個人の仕事を始めて、今年の夏でちょうど5年目になる。

途中、書く仕事だけでなく別な仕事にもチャレンジした期間もあるけれど、結局ずっと続けてきたのはこの仕事だった。

今では当たり前のように副業という言葉が溢れているけれど、それでも副業をしているということは周りに理解されないことの方が多い。

実家の家族親族はもちろんで、人によっては同世代の友人でさえ、副業していることに怪しさみたいな感覚を抱いている人もいる。

自分が経験したことのない世界を理解しろと一方的に言ってしまった、僕の落ち度だったと思う。

だから、僕は向こうから聞いてこない限りは会社以外の人でも副業の話はしないことにしている。

毎日取り組んでいることなのに、共有できる人もいないというのは、思っている以上に寂しい時もある。

孤独感とも言えようか。

もちろん、本名でなくとも毎日発信してリプライをもらったり、個人の仕事で繋がった縁があることは本当にありがたいことだ。

最初はお金を稼ぐことだけを目的に始めたことだったのだが、不思議な感覚である。

そんなことを考えながら、個人の仕事をしていたが、将来を考えていたパートナーにさえ見放され、自分の仕事が近くの人に認められていないのだなぁと突きつけられたような感覚を覚えていた。

それでも、僕はこれをこれを辞めることなく続けた。

半分は意地みたいなものであったけれど、なんとか全く仕事をしないという状態にはならずに済んだ。

そして昨日、友人から「執筆活動」と言ってもらえたのである。

承認欲求を満たすためにやっているわけではないけれど、誰にも観てもらえていないもしくは観てはいるけど疑われるように観られているのことに耐えられる人とそうでない人がいるのは、確かだ。

たった5年かもしれないけれど、この5年の間にたくさんの出来事があったから、それを話しても良いんだと思えることがまさにこの仕事を続けてきた成果なのかもしれない。

☆ーなつのの活動ー☆

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