【コラム】手放しで喜べない連休に思う

こんにちは!

なつのです!

本日はコロナ禍の過ごし方に関するコラムです!

手放しで喜べない連休

連休を過ごしている。

しかし、今までの休みとは違ってとても静かで、やることがないなぁとはならない毎日である。

これまでの連休と言えば、どこかに出掛けたり、実家に帰省してみたりして、仕事とは別の忙しい時間を過ごしてきた。

昨年から、世の中が変わったように、外に出る事が他の迷惑になり得る行為になってしまい、行動が制限される事がいかに窮屈なのかという事を思い知らされた。

そんな状況の中にいて、個人的には大きな変動期でもあったから、余計に今回の連休を異質なものに感じているのかもしれない。

外出ができず、ひとりで過ごす時間も長いし、部屋もとても静かである。

幸い、僕は個人の仕事もしているので、全くやる事がないというような無気力に近い状態にはならないけれど、新卒で会社員になったばかりの頃の僕は趣味も、やりたい事も無く、あまり体によろしくない休日を送ってしまっていたから、時間軸が違えば、この状況がかなりきついものになったのかもしれない。

今は世の中全体のルールが変わってしまったから、きっと過去の僕が過ごしたあの休日を、嫌でも過ごしている人がたくさんいるのだろう。

外出自粛にはそういう側面が、きっとある。

そして、それが連なるように続くのが、連休となってしまっている。

中には、何も気にせずに今まで通りの連休を過ごしている人もいるだろうし、何もしない連休でこそ体が休まるという人もいるだろうけど、そんな人達でさえ、どこか頭では「外に出ることは…」とか「人混みに行くことは…」と意識している事だろう。

つまり、誰にとっても連休が手放しで喜べないような時間になってしまっているのだ。

なんとも寂しいものである。

ただ、悪い側面ばかりというものは少ない。

こんな連休もそうだ。

生活様式にもよるが、外に出ることを諦めた事で、「買っても読んでいなかった本をゆっくり読もうかな」とか、「最近、忙しくてできなかった家の片付けをしようかな」などと、自然と思えるようになるのだ。

これは僕の話だが、外に出られないなと思って、家でできる何かを考えた時、意外と身の回りに気を掛けられていない自分に気が付く。

灯台下暗し。

僕は身長は小さい方だが、視野も広く無かったようだ。

それでも、この自粛期間で、一番近くを見ることができるようになったのは、やはり良かった事なのだ。

お陰で、まだ休みはあるのに余裕を持って部屋の片付けでもしようかな、なんて思えている。

今日は、仕事もそこまで多くないから、真にゆっくり過ごそうと思う。

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