
こんにちは!
なつのです!
今日は大人とは何かについて考えてみました。
短くまとめているので時間のない方もどうぞ!
子供がいるから大人がいるというだけ
大人とはなんだろう。
たぶんこういう抽象的な疑問は大抵の場合で答えに辿りつかないものだ。
この類の疑問は考えることでなんとなく進んでいる感じがするというものである。
だから自己満足に終わることも多いのだけれど、要は頭を動かしていること自体が面白かったり、答えが抽象的でもそれを聞いた人が「そういう考え方もあるんだ」と思えればそれで十分なところもある。
それは多くの人が「答えなど出ないだろう」となんとなく感じているからである。
さて、大人とは何かということに戻りたい。
僕の好きな内田樹先生の考えでは話の聞き手が子供なら話し手は大人であり、つまり子供がそこにいるから大人が存在するというものである。
ここでいう子供とは血を分けた子孫ではなく、何かを教わっているとかその程度の関係のことである。
要は「ああこの人大人だなぁ」と思えるような人がその人にとっての大人というだけである。
この考えを細分化すると、もっと細かい点で大人を感じる可能性もある。
「言葉遣いが良いな」とか「考えがしっかりしているな」とか「周りに気を使えるんだな」とか、そんなぼんやりと思ったことであっても自分の立ち位置が何か見習いたいなというところにあればそこには大人と子供の関係が十分に成り立つのである。
しかし、何もかも全てにおいて憧れられるような人というのは少ない。
この点は良いけど、この点は嫌いという両方を持った人の方が一般的だ。
大人と子供を内在化している人の方が多いということなのである。
だから「大人になりたい」と思ったとしても、ただ年齢を重ねれば良いわけではなく、実は既にあなたの中にも大人は存在するということなのだ。
でももしこの考えでの大人になろうとすれば、ひとつだけ厄介なことがある。
それは他人からの評価を気にしてしまいがちになるところである。
大人と子供の関係は結局のところ、人が二人存在しないと成り立たない比較関係なのである。
つまり「大人になりたい」という一心で誰かからすごいと思って欲しくて、見た目だけをかっこいいものにしてみたり、媚びるようになれば本末転倒となってしまう。
案外、子供の立ち位置になる人は目が肥えていて見掛け倒しであることは簡単に見抜いてしまう。
すると一旦は大人だと思ってもらえても、その関係が続くことはない。
まぁそもそもずっと大人と子供の関係というわけではないが、いつでもマウントしたくて大人のポジションにいたいという人も少なくないだろうからそういう厄介な人を気にしなくて良くなるのは恩恵だ。
大人になりたいと言ったところで、良くも悪くもそれは周りの人間がどう思うか次第なので気にしなくても良いということだ。
せめて意識するとしたら自分が「大人だな」と思える人に近づくようにこっそりした努力を重ねるぐらいだろう。
たぶん大人ってそんなもんなのだ。
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