
こんにちは!
なつのです!
今日は「頑張っても報われない」という言葉について考えてみようと思います!
「頑張っても報われない」には言葉が足りない
頑張っても報われないことはある。
身も蓋もないようなことを言うようだけれど、これが現実だ。
ただ最近になって思った少しだけ思ったことがあるので、それを今日のテーマとしたい。
先に何を思ったのか言ってしまおうと思う。
僕は「頑張っても報われない」という考えは少し短絡的なのではと思ってしまったのだ。
つまり、頑張った成果をすぐに求めすぎなのではないかということである。
確かにすぐに成果が得られるようなことでなければ並大抵の人では挫折するようになってしまうのは明らかなことである。
頑張るというのは無理することとほぼ同義だからだ。
頑張れば頑張るだけ今までの自分ならやらないようなことを無理にやってしまうようになれば、なかなか長い期間を継続することは難しい。
簡単なことであれば結果もそれなりに早く出るためモチベーションには繋がる可能性は十分あるけれど、どれだけの人が「報われた」と感じるだろうか。
「報われた」と感じるような大きさの感動は簡単なものでは味わいにくい。
もちろん些細なことで感動などできないと言いたいのではない。
感動はしても「頑張って報われた」と感じることは何段階もレベルの高いことであるから、短期間で達成できるものではないと感じているのだ。
それにも関わらず早く「報われたい」と考えてしまうから、「頑張っても報われない」となってしまうのではないか。
報いは短期間では訪れない可能性が高いことは、よくよく考えてみればわかることだろう。
仕事でもなんでもそうだ。
かつての僕はそれが全く理解できなかった。
早く結果を出さなければと焦ることも数えきれないほどあった。
それが全く悪かったとは思えないけれど、長い目で見ることはできていなかった。
結果は出てきても、そこに「報い」と感じるだけの何かはなかったように思う。
一方で後々になって「報われた」と感じることは何度かあった。
最初のサラリーマンの時から副業をやって来たおかげで物書きを続けられているし、かつての自分が憧れた以上の生活を送るだけの余力を持てるようにもなっていた。
こうやって振り返った時に初めて「報われたのかもしれない」と思えたのだ。
この道中に小さな達成感とか感動もあったけれど、やはり「報われた」と感じるのは継続の先にあるものだけだった。
だから足りない言葉を捕捉するなら、「頑張っても(短期間では)報われない」となるはずだ。
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